ぱぱぷー
1歳半になる次男はよく話すようになった。
話すことは大体理解できるが、なかには「何故それをそう発音?」という言葉もある。
「パパプー」
パパプーとは? 一体何? パパプーパパプー連呼する息子が何を欲しているのかわからない。 何日かしてようやく「卵」のことだということが判明した。 目玉焼きを指差してぱぱぷーぱぱぷー言うのだ。
ぱぱぷー = たまご。 こーれは難しい。
保育園の友達の名前はスラスラと言える。
「Aくーん」「A子ちゃーん」など。 なぜか大抵二度言う。 「AくーんAくーん」
理由はわからないが、言えない名前もある。 複雑な名前ではない。 たとえばよしこちゃん(仮名)と言わせてみる。 「よしこちゃんと言ってみて」
「あふぇひぇふぇひょ?」とかなってしまう。 ありえない発音に一同爆笑すると、自分が言ったことが笑われたと理解していて怒る。
たぶん、発音したことがない言葉は、簡単なものでもうまく言えないようだ。
そんな言葉も2、3度練習するうちにすぐ言えるようになってしまう。 子供の成長は早い。
安産祈願、長崎清水寺
戌の日については前に書いた。 4度目になる戌の日のお参りに、やはり清水寺へ向かった。
お参りを済ませ、お守りを買うためにカミサンは並んでいる。 ヒマなので、清水寺内を散策する。
本堂の改修工事はまだ終わっていないようだ。 黄色い帽子をかぶった園児たちがゾロゾロと階段を上がっていく。 屋根裏に千社札が貼られていることに気づき、千社札探しをはじめようとしたところカミさんからお呼びがかかった。
北御門にウナギを食べに行った。
ランドセル
4月、長男は小学生になる。
「一年ってあっという間だね」とよくいうがその通りだと感じる。 この前オギャァと生まれてきた長男がもう一年生になるなんて。
さて。 小学一年生といえばランドセルだ。 ランドセルをからっているということは、その子は小学生だということだ。 ついに、ランドセルを買う日がきたのだ。
その前に、ランドセルの正体について語らねばなるまい。
ランドセルはオランダ語のランセル(RANSEL = 背嚢)がなまったもので、兵士用の背嚢として幕末日本に入ってきた。 当時は布製で、リュックサックのようなものだった。
明治10年(1877年)、学習院が開校した。 華族の子供たちは馬車、人力車で通学し、目立って仕方がない。 そのうち学校は馬車や人力車で通学することを禁じ、軍用の背嚢に学用品を入れて背負い、徒歩で通学させることにした。
明治20年、のちの大正天皇が学習院に入学する。 そのお祝いとして、当時の首相、伊藤博文が、特別製の皮で作られたランドセルを献上した。 それが現在のランドセルのルーツとされている。
※ランドセルの発祥は読むクスリより(読むクスリ一覧)
これがランドセルの始まりなのだ。
※ちなみに日本と同じようなランドセルを使っている国は他にない。 日本国内の小学校では一部ランドセルを義務化しているところもあるが、多くはそうでないらしい。
カミさんから電話があった。 デパートのランドセル売り場にいて、どれを選ぶか迷っているらしい。 店員は紺色でテカテカの反射板のついたものが売れ筋だとすすめるが、どうなんだ?という話だ。
色について
ランドセルに数多くのカラーバリエーションがあるのは下見をしたので知っていた。 どの色も確かにアリだなと思わせる。 キャメル色は、ランドセルの形状にぴったりで、つい買ってしまいそうになったこともあった。
だがしかし、親好みの色をしたランドセルを買ってあげても、子供はあまり嬉しい顔をしないという話を聞いた。 周囲のほとんどが黒なので(女子は赤)自分だけ色が違うと恥ずかしいとかそういう理由だ。 だから無難に黒いランドセルを選んだ。
素材について
合皮よりも革のほうが風合いがでるハズなので牛革を選んだ。 馬革もある。
メーカー
メーカーはとくにこだわりがなかったので、高島屋オリジナルのものにした。(カミさんが行ったデパートが高島屋だった)
機能や形状については、CMでよく見る天使のナントカや、プーマとコラボモデルのなんとか等ホントに色々あるが、大差ないように思える。 ちなみにランドセルに付属していたチラシによると、ランドセル工業会という組織があって、規定の標準寸法があるそうな。 背巾24cm前後、背丈28cm前後、冠長さ43cm前後。
使用感
さっそく息子に背負わせてみた。 ランドセルの大きさに対して体が小さくて「まるでランドセルが歩いているようだなハハハ」というコメントを用意していたところ、ランドセルが非常に小さく見えた。 この分では、たぶん3年生ぐらいになると、ランドセルを背負いきれなくなるかもしれないと予想される。
ちなみにランドセル工業会のサイトにはランドセルに関する情報が詳しくまとめられている。 さらには「ランドセルは海を越えて」という、使用済みランドセルに文具を詰めて、アフガニスタンとモンゴルの子供たちにプレゼントする運動もある。 すばらしい活動だ。
さて次は学習机を選ばなければ。
あやとりひめ
インフルエンザはとどまることを知らない。
見事息子から娘へ伝染した。 近辺では新たにB型インフルエンザが流行の兆しをみせているらしく、A型にかかって免疫ができたからもう安心、というわけではない。 A、B連チャンの恐れもあるのだ。 まったく・・・。
熱が下がっても5日間は安静にしておかねばならず、元気なのに友達と遊ぶことができないからか、さみしそうな表情を見せる。 遊んでやらにゃならん。
娘の中では「かるた、こま、あやとり」が今アツいらしく、そのうちどれかで一緒に遊ぶことになっている。 「かるた、こま」ならばまだしも「あやとり」は大変だ。
手の大きさが違うから、娘にちょうどよい長さのひもを使うと、あやとりが成立しない。 その逆もまたしかり。 さらに娘はあやとりをまだよく習得しておらず、オリジナルなとり方をするもので、もはやあやとりではなくなってしまう。
へんてこなあやとりは延々と続く・・・。
インフルエンザの猛威
この3連休、どこへも行かず家でダラダラしていたのは何も雪のせいだけではない。 長男がインフルエンザにかかってしまったのだ。
日頃風邪ひとつひかない長男は、その日めずらしく元気がなかった。 不思議に思ったカミさんが熱を図ってみると、39度の高熱。 よく見ると、ほっぺが赤らんでいる。
「おたふくではないと思うけど・・・」すぐに病院へ連れて行くとインフルエンザに感染しているということだった。 予防接種はしていても、インフルエンザにはかかるものなのだ。
残る2人の子供に移らないか心配すると同時に、カミサンやオイも感染するかもしれない。 だけど心配したところで防ぎようがないので開き直る。 かかるときはかかるものなのだ。
長男は毎日タミフルを飲むように言いつけられ、さらに保育園は5日間休まねばならないということだった。 万が一、すぐに症状が改善されたとしても、とにかくタミフルを飲んでいる間、すなわち5日間は安静にしておかねばならないそうだ。 これはタミフル服用による異常行動の恐れを懸念しているためだとか。
長男は次の日すぐに、熱が下がり元気を取り戻した。
長男の通う保育園では、インフルエンザ大流行とのこと。 およそクラスの半数がお休みということだった。 それは先生たちにも広がっているという。 こりゃ大変だ・・・・・・。
インフルエンザについて
- インフルエンザにはA香港、Aソ連、B型の3タイプある。
- 発熱後2日間は目を離さないようにする。
小判型のポチ袋
「ポチ袋って何でポチブクロっていうか知ってる?」「これぽっちしか入ってませんけど」というところからきているそうよ。 とカミさんがいう。
ウィキペディアを見てみると、たしかにそう書いてある。 他にも説があるようだ。
今年も大いにお年玉を配った。 うちの子たちもニンマリするほどもらったようだ。 お年玉をいくら包むかはカミサンの判断だが、毎年どんなお年玉袋に入れてあげるかを考えるのはオイの役割だ。
数年前まで自作していたけれど、なかなか時間がとれないので最近は購入することにしている。 どうしてもキャラクターモノになってしまうところを、なんとか面白いものを見つけようとするけれど、なかなか無い。
今年は小判型のポチ袋を選んだ。 子供たち的には袋はともかく中身にしか興味はなさそうではあるが。
注射ギライ
注射が大嫌いだ。
注射が好きだという人もなかなかいないと思うが、そもそも体に針を刺す行為自体が我慢できない。 腕に刺される針を直視できない。 針で注入しなければならないものなのか、飲むとか表皮から浸透させるという代替策はどうしてもできないものなのか。
子供たちはインフルエンザの注射を年に数回、定期的にやらねばいけないらしく、熱があるとその注射ができなくなるもので注射予定日の数日前から体調管理を徹底しておかねばならない。 注射のくせにいちいち注文をつけてくる所も腹が立つ。
3人の子供のうち、オイに似て注射が嫌いなのは長男だ。 長女、次男は「どうってことない」という態度で事なきを得る。 「どうってことない態度」をとれること自体理解しがたい。
長男の注射の日だった。 いちいち子供が針を刺される瞬間を見たくはないが、保護者として付き添っておかねばならない。 カミさんは他の子供たちを連れて買い物中。 待合室にいる間、長男は落ち着きがない。 今日は注射の日だということを知っているからだ。 逆の立場だったら、オイもきっとそうなるであろう。
注射がニガテな大人から、注射ギライの子供へひとつアドバイスを。 いよいよ注射を打たれる寸前になったら、とにかく注射そものもを見ないこと。 看護婦さんの顔でもじっと見ていればよい。 腕に脱脂綿でアルコールかなんかを塗られ、少しひんやりしてきたところでより一層恐怖感が増すが、とにかく看護婦さんの顔でもじっと見ていればよい。
腕がひんやりしたら即、注射をされる反対側の手で太ももの肉をつねる。 チョット痛いぐらいつねっておく。 そうすると注射の痛みは感じない。 というか、針を刺される痛み自体は大したことはない。 肉に針が刺さる場面を見なくても済むように、気を散らすわけである。
という風にアドバイスをした。 息子は無言のままうなずいた。
アドバイスにより、息子は無事、ベソかくことなく注射を終えた。 今回息子に代わり、その瞬間を見届けた。 大した注射されっぷりであった。
と、次の瞬間、小柄でいつも優しい先生が、素っ頓狂な声をあげた。 「はぁれぇ!?」
先生の説明によると、注射でインフルエンザ予防ワクチンを注入している最中に、注射本体と針がはずれてしまい、液漏れをしたらしい。 よって、半分のワクチンしか体に入らなかったので、もう半分を今すぐ打ち直すとのこと・・・。
息子よ・・・・・・・。
変な空気に子供は敏感なので、間髪入れずに処置するべきだと感じたオイは、すぐさまハイさっそくオネガイシマスと先生に伝え、先生は間髪入れずに注射をしなおした。 息子本人にはこれといった説明はしない。 ヨーシヨシヨシ、ハイハイハイハイハイ・・・と、まるで動物とたわむれるムツゴロウ氏を彷彿とさせる雰囲気の中、2発目の注射は打たれた。 その間ずっと息子は注射の針を、腕を見ていた。
ドサクサにまぎれて注射をすると子供は恐れない。
あとで息子に詳しく話しを説明すると「ふーん」ということだった。 注射は全然痛くないし怖くないと思ったと言う。 息子は注射の恐怖を克服したのだ。
ちなみにもしオイが注射を打ち直しするハメになったとしたら、決定した瞬間、キッパリとお断りさせていただく。
※本年は更新終了です。 また来年、どうぞよろしくお願い申し上げます。
アドヴェントカレンダー全開
この12月、子供たちは寝起きがよかった。 毎朝起きてすぐに開くことに決めたアドベントカレンダーのことが楽しみでしかたがなかったからだ。
ついに今朝、アドベントカレンダーは全開した。 無印のものは、まさにその形通り、予想通りの図柄が現れた。 もうちょっとなんちゅうかこう・・・とも思ったが、たぶん無印的には「この白いツリーに自ら絵を描いたり色を塗ったりしなさい、自分色に染めておしまいなさい!」という考えがあったのかもしれない。
さ、家に帰ってローストチキンを焼こう。
カットバン娘現る
絆創膏のことを近辺では「カットバン」「リバテープ」という。
なんでか知らないが、娘はカットバンがやけに好きで、ちょっとした擦り傷にはもちろんのこと、ケガをしていなくてもカットバンをペタペタ貼りまくる。
そう無駄遣いされてはホントに必要なときに困る。 度々注意するが聞かず、カットバンを隠しても、こっそり見つけ出してしれーっとヒザに一枚貼っていたりする。
たまに本当にケガをして、保育園で貼ってもらっている時もあるが、それもやはり趣味で貼っているのではないかと疑ってしまったりもする。
最近困るのが、自分の弟にベタベタ貼りまくることだ。 気がついたらもう、カットバンだらけにされてしまっていた。
娘的には、保育園の先生から自分が貼ってもらった時のイメージのようだが、あんまりだ。
カットバンはしばらく封印。
息子の誕生会
息子は6歳の誕生日を迎えた。
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