薄田 泣菫 『茶話』
薄田 泣菫の『茶話』を読み終えた。
茶話は大正末期から昭和にかけて、毎日新聞に掲載されていたコラムであり、当時の毎日新聞は、この茶話だけで売れていたと、開高 健が『知的な痴的な教養講座』に書いている。
今回読んだものは、昭和三年に創元社が出した『茶話抄』に収録された著者自選の154篇を再録したというもの。
丸谷才一は、薄田 泣菫について次のように語った。
泣菫は例のコラムニストのはしりなわけだが、 しかしこんな紹介の仕方をしたせいで、後世の猥雑なコラムと同一視されては気の毒だから、 一つ見本を出してみよう(「俳諧師の頓智」を引く)。
泣菫は、知的であることと暖かい肌合いとが一致しており、イメージの使い方がじつに巧妙だ、と評している。
その「イメージの使い方」について、解説の坪内祐三はこう書いている。
イメージと言えば、『茶話』を一読した読者は、泣菫が人間を動物にたとえる比喩表現に巧みなことに気づくだろう。 そしてその比喩が独特のユーモアをかもし出していることも。
読んでいて気になった表現を以下列記。
(more…)宮崎 駿『出発点 1979~1996』
宮崎 駿の『出発点』をひと月かけて読んだ。
宮崎アニメのマニアだというわけではない。 ひとりのファンとして作品を鑑賞しては、感動しているという程度のごく一般的な好感度をスタジオジブリに抱いているわけで。
それにしてもこの本は面白かった。 以下、覚えておきたい部分を引用する。
天空の城ラピュタ
アニメーションはまずもって子供のものであり、真に子供のためのものは、大人の鑑賞に充分たえるものなのである。 パズーは本来の源にアニメーションをとりもどす企画である。
テーマもなにも、男の子が女の子と出会ってひと肌脱ごうという(笑)話で、男になったってだけなんです。
昔に書かれたSFという感じで作ったのです。 蒸気機関車の頃に書かれたSFのように書いたんです。
カリオストロの城
「・・・・・・もう十年以上昔だ。 オレはひとりで売りだそうとヤッキになってる青二才だった」(「カリオストロの城」のセリフより)
紅の豚
国際便の疲れきったビジネスマンたちの、酸欠で一段と鈍くなった頭でも楽しめる作品、それが「紅の豚」である。 少年少女たちや、おばさまたちにも楽しめる作品でなければならないが、まずもって、この作品が「疲れて脳細胞が豆腐になった中年男のための、マンガ映画」であることを忘れてはならない。
となりのトトロ
「となりのトトロ」の目指すものは、幸せな心暖まる映画です。 楽しい、清々した心で家路をたどれる映画。 恋人たちはいとおしさを募らせ、親たちはしみじみと子供時代を思い出し、子供たちはトトロに会いたくて、神社の裏の探検や樹のぼりを始める。 そんな映画を作りたいのです。
これははっきり言いたいのは、あの時代が懐かしいから作ったんじゃありません。 やはり子供たちがあの作品を見たのをきっかけにして、ふと草むらを駆けたり、ドングリを拾ったりしてくれないかなとか。 もう本当にわずかになっちゃったけど神社の裏側にもぐって遊んでくれないかなとか、自分の家の縁の下を覗いてドキドキしてくれないかなとか、そういうことなんですよね。
アニメーションの主題歌はアイドルの売り出しに使われたりしますが、流行を見ても、結局声が出ず、音域のせまい今様の歌は子供たちの心をとらえていません。
せいいっぱい口を開き、声を張りあげて歌える歌こそ、子供たちが望んでいる歌です。 快活に合唱できる歌こそ、この映画にふさわしいと思います。
もうひとつの歌は、挿入歌です。 淡い物語を彩る歌ですが、劇中で子供たちが唱歌のように歌える歌にしたいと考えます。
トトロも縄文人から縄文土器を習って、江戸時代に遊んだ男の子をマネしてコマ回しをやっているんでしょう(笑)。 トトロは三千年も生きてますから、本人にとってはついこの間、習ったことなんです。 ひょっとしたら、カンタのバアちゃんが親にしかられて泣いて歩いていたとき、トトロに会っているのかもしれない。 トトロはひょっとしたら、小さいときのバアちゃんとメイを同じ女の子だと思っているのかもしれないんですよ(笑)。
最初は「このへんないきものは、もう日本にはいないんです。 たぶん」って書いたんですよね(糸井重里)。
- カンタのノートに落書きしてあるのは杉浦茂のマンガ
チラシ
今更何を言うんだと自ら突っ込むが、アマゾンはすごい。
気になる本を検索すれば一瞬で表示され、簡単な手続きで購入完了。 何日かで手元に届いてしまう。 目当ての古本を探せば「これって大丈夫なの?」と思わず心配してしまうほどの安値で見つかることがある。 リアル本屋で手当たり次第本を手に取りパラパラめくり、物色するのは時を忘れる楽しさがあるが、購入したい本が決まっている場合、ネットで買うほうが大幅に手間を省ける。
我々は今(たぶん人類の歴史上初めて)本当に知的といえる作業にだけ集中することができるようになった。
と、たしか超整理法に書いてあったと思うがまさに通りだと思う。
(more…)賢くなるパズル
首都圏某所にある宮本算数教室。
卒業者の8割以上が首都圏最難関中学へ進学するという。 入塾するには無試験、先着順だが、応募者が後を絶たない。
勉強方法はとてもユニークだ。 宮本先生は、生徒に教えない。 生徒はプリントを黙々とこなしており、一問解けたら手を上げて、正否を見てもらう。 先生は正解の場合「マル」、不正解の場合は「ボツ」というだけで、後は何も教えない。 プリントの問題は、パズルである。
晩酌しながらたけしの番組を見ていたら、突如この光景に出くわしてしまい面喰ってしまったのと同時に、何か興味がわいた。 ちょっとやってみたい。
アマゾンで調べてみると、やはり教材が売られていて、早速小学2年の息子用に、入門編のパズルをいくつか購入した。
入門編だからとても親切で簡単だ。 息子は1ページずつ問題を解いていくうちに、だんだん楽しくなってきたようで、完全に日課となってしまった。 時折つまづく問題もある。 でもここが重要なところで、親は絶対に答えを教えてはならない。
子供に何かを教える必要はありません。 ただ教材と環境を与えておくだけで、勝手に伸びるのです。
と、宮本哲也氏は言う。
(more…)下着の概念を変えた女「鴨居 羊子」
鴨居 羊子さんは下着デザイナーである。
「下着は白」という固定観念をひっくり返し、カラフルで柄の入った下着を数多く発表、世間をアッと言わせた人物だ。 人よんで「下着界のパイオニア」。
でも当初、カラフルな下着は社会に受け入れられなかった。 小売店へ営業に行けば門前払いされ、「下着は白いもの」という客の声に肩を落とした・・・。
それでも彼女は、各地で下着ショーを開催したり、「女は下着で作られる」という映画を製作したりして、次第に時代が鴨井さんについてきた。 もし鴨居さんがいなければ、現代の下着はもっと地味なものだったのかもしれない。
友人だった司馬遼太郎は「大衆社会にきらめくような小さな哲学を打ち出し、日本人の意識革命をしたおもしろい存在」と評した。
(more…)うめめ
梅 佳代は1981年生まれの写真家で、写真集『うめめ』で第32回木村伊兵衛写真賞を受賞した人である。
「よくもまあこのような決定的瞬間を」と思わずじっと、見入ってしまう写真を量産する才能を持つ素晴らしい女性だ。
『うめめ』はいつも手の届く場所に置いてパラパラと眺めている。 中でも赤ちゃんの写真が気になって仕方がない。
(more…)佐藤雅彦『毎月新聞』
(more…)「~じゃないですか」と言われたら(言った本人がそこまで意識しなくても)そのことを知ってて当然、というニュアンスまで生むことも多い。
つまり、誰かがその言葉を言ったとたん、そのことが、既成の事実と化してしまう、実に巧みな言い回しである。
今 東光『毒舌 身の上相談』
ベスト10
相談者:「和尚がこれまで読んだ本の中からよかったものを10冊あげてみてください。」
今東光:「いい加減にしろよ、この馬鹿野郎! まずてめえが何冊か読んで、毎年のベスト10を選び、そのを積み重ねていった方が利口じゃないか。 そのベスト10の表を何年か経ってから見ると、自分が最初に決めたベスト10が割合幼稚だったなあということがわかるもんだ。そういう勉強の仕方をしろ、この薄馬鹿野郎! このオレに、八十歳のオレつかまえて、おめえの読んだ本のベストだって、畜生、いい加減にせい!」
(more…)筒井康隆 『アホの壁』
ええがな
(more…)ある結婚式に出席した時のこと。 控室にいると、別の結婚式の親族がいる向かいの控室から、興奮した年配の女性の声が聞こえてきた。 サスペンダーを忘れてきた男性に向かって、代わりにベルトを締めるように言っているらしい。
「そうやがな、ベルト締めたらええがな。 サスペンダー忘れてきたんやったら、ベルト締めたらええがな。 そのベルトでええがな。 ええベルトやがな。 そうやがな。 ベルト締めたらええがな。 そのベルトでええがな。 そのベルト締めたらええがな。 そのベルト締めんかいな。 そやがな。 サスペンダーないねんさかい、ベルト締めなあかんがな。 そのベルトええベルトやがな。 それ締めたらええねん。 そやろ。 ベルト締めんかいな。」
声高にえんえんとやるのだが、誰もうるさいとは言わない。 結婚式でもあることだし、恐らくこの女性は結婚式だというので興奮しているのだろうが、そんな時でなくてもある程度はこうなのだろうから、みな慣れてしまっていて何も言わないのだろう。
筒井康隆 『アホの壁』より引用
塩野七生『男たちへ』
教訓と刺激
教訓は、上の者が下の者に与えるものであり、刺激は、平等の者か下位の者が、上位者に対する時の、優雅で効果的な武器である。
外国人の多いシンポジウムの席にて
よくある日本人の挨拶に「お忙しいですか?」というのがある。 あなただったらどう答えますか? 会場にいた外国人たちは異口同音「不幸にして」と答えた。
ところが日本人は違います。 幸いにして、という意味を込めつつ「おかげさまで」と答えます。
基本とは
基本とは、何かワケがあって確立したものだから、それをくつがえすもうひとつの基本スタイルでも創造しないかぎり、軍配は従来のスタイルにあがり続ける。
スタイルとはなにか
誰も知らない。 が、見ればそれとわかるのがスタイルだ。 『ハイ・ライフ』タキ より
殺し文句について
- 殺し文句とは、剣を使わずに相手を殺す方法。
- 相手のスキをついてグサリと一突きで殺さなければ効果はない。
- 性別は関係ない。
- 真偽、100%ではないということを使うほう、使われるほうが認識している必要がある。
- 言葉で殺すわけだから、相手が最も欲していることを的確に察知する能力が使い手には要求される。