下着の概念を変えた女「鴨居 羊子」
鴨居 羊子さんは下着デザイナーである。
「下着は白」という固定観念をひっくり返し、カラフルで柄の入った下着を数多く発表、世間をアッと言わせた人物だ。 人よんで「下着界のパイオニア」。
でも当初、カラフルな下着は社会に受け入れられなかった。 小売店へ営業に行けば門前払いされ、「下着は白いもの」という客の声に肩を落とした・・・。
それでも彼女は、各地で下着ショーを開催したり、「女は下着で作られる」という映画を製作したりして、次第に時代が鴨井さんについてきた。 もし鴨居さんがいなければ、現代の下着はもっと地味なものだったのかもしれない。
友人だった司馬遼太郎は「大衆社会にきらめくような小さな哲学を打ち出し、日本人の意識革命をしたおもしろい存在」と評した。
鴨居 羊子さんのことは、ぷちぐるを見てくださった方から教えていただいた。 鴨井さんの書いた『カモイクッキング』をすすめていただいたのである。
そんなカモイクッキングの中から長崎風鯛茶の作り方を紹介しよう。 どうして長崎風なのか?それは鴨居さんの母上様は、長崎出身だったから。 母直伝の、鯛茶である。
長崎風鯛茶
- 鯛を皮付きのまま三枚におろす。
- 身をフグ並に薄く切る。
- 白ゴマを煎り、すり鉢でする。
- そのすり鉢の中に、醤油、みりん、酒、卵、砂糖、味の素などを加え、再度すりこむ。
- ごはんが炊ける10分前に、鯛の身をこのタレの中に漬ける。
- フタ付の茶碗にごはんを入れ、そこへ鯛とタレを少々かける。
- 上から刻んだパセリ、ワラビ、焼き海苔をのせる。
- ほうじ茶を上から注ぎ、フタをする。
- 1分おいてから、いただきます。
各分量は、お好みでどうぞ。 鴨井さんいわく、
母も叔母も○○カップ1杯とか、大サジ2杯とかなどとは言わなかった。 私もそんな野暮を書くと、長崎がなくなりそうに思える。 もし教えてほしいと思う人があれば、私が現場でやってごらんに入れよう。
と、いうことだ。 鴨井さんは長崎の網元の娘さんだったそうで、魚料理のない日が三日も続くと息切れがする、という方だったという。 来客の際は、鯛茶をクリスタルの大鉢に入れて、供していたそうな。 もちろん、茶漬けにせずに、醤油でアメ色になった鯛をそのまま肴にしてもよい。

作り方自体は檀流の鯛茶漬とよく似ている。
以下グッときたところを引用。
料理のことなど書いていると、いかにも食通とか、料理通なんて思われそうだが、何々通というのは私の性に合わない。 むしろそんなのはきらいだ。
いつも物ごとの傍観者、素人、興味しんしんたる受け入れ側、料理なら平凡な舌と、よい胃袋をもった生活者の方にいたい。
どうしてワタリガニと毛ガニを比較するのだろう。 世界中、食いもの、のみもの、その土地土地で味がちがい、環境によって心も体の工合もちがうからこそ面白いと思う。 旅もよし、酔いざめの水もよしと思う。
ただでさえ小さい日本の、そのまた小さい町の、何本もある横丁の、ある一軒の料理屋のしゃぶしゃぶのタレが、何ともいえぬと威張る通がいるが、それも一つの文化かもしれないが、通になってしまうと、肝心の料理の本質が見失われそうな気がする。
「通」とは、いろんな、文化の崩壊の直前にみせる流星の光茫のようなもので、ついえてゆくものであることは間違いない。
鴨居 羊子
大阪府生まれ。 読売新聞の記者を経て、昭和30年にチュニックという会社を設立、下着デザイナーとなる。 実用本位の下着が主流だった時代、鴨居さんの下着の登場は、エポック・メーキングな出来事だった。 スキャンティ、ペペッティ、ココッティという鴨居流造語による下着の愛称もユニーク。 1991年3月18日、脳出血で死去。 66歳だった。