佐藤雅彦『毎月新聞』
「~じゃないですか」と言われたら(言った本人がそこまで意識しなくても)そのことを知ってて当然、というニュアンスまで生むことも多い。
つまり、誰かがその言葉を言ったとたん、そのことが、既成の事実と化してしまう、実に巧みな言い回しである。
ボストンでは、広告はおろか、自分の店の名前も外に大きくだすことは、街中で禁止している。 声高に自分の店や建物を主張しているところはひとつもないのだ。
ボストンにあるセブンイレブンは世界一地味なセブンイレブンだといわれている。
ご存知のように芋粥では、五位という役職のさえない下級武士が、滅多に口にできない山芋の粥をあきるほど飲んでみたい、とつぶやいたとこから、金持ちの同僚が気まぐれを起こし、五位の目前で大量の芋粥を準備させ、さあ、とすすめるが、結局2杯すするのもやっとで、芋粥を夢みていた頃の自分をうらやましくすら思う、という話だ。
自分にとって大切にしていたものが、あまりに容易に、大量に手に入る状況になり、しかも、多少の義務感も生じてくると、好きどころか、そこから逃げ出したくなるという、ひとの微妙な心理を絶妙に表現している。
自分の年齢(誕生日後の)と生まれた年号の下二桁を足してみると、必ず100になります。 一瞬、不思議。 ※西暦2000年時のみ有効な計算です。
アナログと同じように、digitalの元になっているdigit(デジット)という言葉の意味からひもとくとわかりやすい。 実は、digitとは「指の」という意味である。
表現要素として矢印という記号は文字よりも情報訴求力があるということを示しています。
今年は蟷螂の卵が木の上部に産みつけてあるから雪が深いはずと。
円周率というのは、円周と直径の比率このとだったんですね。
リモコンの大普及は番組の内容にも影響を大きく与えています。 結局は、視聴率競争を逃れられない民放にとって、リモコンは、視聴者からピストルをつきつけられているようなものです。
チャンネルを変えられる隙がない編集とか、ついつい後をひきずられるような構成に、番組はどんどん変容を余儀なくされています。
リモコンはチャンネルを選ぶボタンのほかに「消す」ボタンもついています。 僕たちは、当然テレビを楽しむ自由を持っていますが、それと同時にテレビを消す自由も持っているのです。
以上佐藤 雅彦『毎月新聞』より気になったところを引用
『ピタゴラスイッチ』、『だんご3兄弟』、「ポリンキー」、
「バザールでござーる」に携わった佐藤さんの面白エッセイ。