Kindle Paperwhite 3G

Kindleをひと月ばかり使ってみたところで雑感を。
入手したのはKindle Paperwhite 3Gで、12,980円。 7,980円のKindle Paperwhiteもあるが、両者の違いは無料3G接続が使えるか否か。
3Gの有無で5000円開きがあるわけだが、断然3Gのほうでよかったと思っている。 どこにいても3G圏内であれば本を買えるという自由度は捨てがたい。
(more…)『面白くて眠れなくなる数学』桜井進
おつりの計算法
342円のものを買うのに1000円を店員に渡した。 さておつりは?
「足して9の呪文」を使う。
- 342円の百の位の3に6を足すと9。
- 342円の十の位の4に5を足すと9。
- 342円の一の位の2に8を足すと10。
一の位だけ10になる数を探す。
答えは、658円となる。
桁が増えても幾らでもやり方は同じ。
(more…)世界を見る目が変わる50の事実
GW中に倉庫を整理して大量の古本を処分した。 その中で見つけた一冊が『世界を見る目が変わる50の事実』。 ずいぶん前に読んだ本だが、目次をザッと眺めるだけでもなんちゅうかこう・・・。
(more…)考える練習をしよう
長男のために買った『考える練習をしよう』という本に目を通したところ、かなり面白かった。 本の対象年齢は「10歳以上のみんな」だ。
道のゲーム
- 二人で行う。 ひとりはペンを持ち、もう一人は目隠しをする。
- 紙に線を引く。 曲がりくねった線でかまわない。 描き終わるまでペンを紙から離してはいけない。 描き終わったらスタートに矢印を書き、ゴールに×印をつける。
- 目隠しをしている人に違う色のペンを渡し、矢印のところに置かせる。
- これから線を引いた人は、目隠しをした人に線をたどらせる。 いくらでも指示を与えてよいが、相手の体や、ペンに触ってはいけない。 「上に行って・・・そこからすこし左、あー違う違う」 相手は指示をよく理解してくれただろうか?
- お互いの役目を入れ替えてもやってみる。
大根おろしの卵かけ

「大根おろしの上に、生卵を割り落とし、醤油をたらしてかき回して食う」
と、團 伊玖磨 の『パイプのけむり』にあったから、早速試してみたらこれがまた旨かった。 あっさりしたトロロのような味がして、ザックリ混ぜて匙ですくえば酒のアテにもなる。 もちろんこれをご飯の上にかけて、かっ込んでもイケる。
(more…)『御馳走帖』内田 百けん
記憶
自分の古ひ思い出の中で、どの記憶が一番古いかと云う事を、きめるのは困難である。 幼少時代の自分に関係した事柄は、自分で覚えてゐると思ふ事が、実は後になって、母や乳母などの口から語られた事の聞き覚えであつたりする。
外部の干渉
きらひではないけれど、飲みたいと思つてゐない時に、先方の思ひつきで飲まされるのは迷惑である。 後の用事とか予定とか、さう云う事は第二としても、自分のおなかの中の順序に、外部から干渉されるのが、いやなのである。
佳肴
午後ずつと仕事をしてゐても、私は間食は決してしない。 ただひたすらに、夕食を楽しみにしてゐる。 一日に一ペンしかお膳の前に坐らないのだから、毎日山海の珍具佳肴を要求する。 又必ず五時に始まらないと騒ぎ立てる。 その時刻に人が来ると情けない気がする。
酒
永年酒を飲んでゐる人は何人でもさうであらうと思ふが、いつの間にか自分の口に合つた酒がきまつて、外の酒ではいけないと云う事になる。
こくがあると云はれる様な酒は常用に適しない。 反対にこくがなくてさらりとした味に、清い香気と色の吟味が酒飲みには一番大切なのであらうと思はれる。
(more…)賀茂鶴の樽はココでしか飲めない! 大甚【日本一の居酒屋】
あまカラ
『舌鼓ところどころ』吉田 健一
卓袱
御鰭と呼ばれるのは、客一人に就て鯛を一尾使った証拠に、椀毎に鯛の鰭を二つずつ付けるからだそうで、客が先ずこの鰭を取り除けて宴会が始る。
卓袱料理はもともとが一種の家庭料理で、今日でも長崎で客に家で御馳走する時はこの方式に従うことが多いそうであり、~中略~
銘々が小皿に料理を取り分けるのに、箸は返さないことになっていて、小皿が一人に就て二つしかないのは、小皿に取ったものは全部食べてしまえということになる。 だから、酒を浴びるように飲んでも、二日酔いはしない訳である。~中略~
卓袱料理を考えた人間はやはり酒飲みだったのに違いない。
角煮
(more…)脂っこいのに、それが滋味に感じられるだけで、一つ食べることがもう一つ食べる気持ちを誘う。 どちらかと言えば甘い煮方なのが、この場合も酒を辛くするのに丁度いい程度で、本当を言えば、これを皿に盛ったのと酒があれば、それだけで充分な御馳走である。 これを十一食べた先輩がいるという話も聞いたが、無理もないことだと思う。 消化はいいのに決まっているし、要するに、幾らでも食べられて、翌日、又食べられるのがこの豚の角煮である。
『父の詫び状』向田 邦子

薩摩揚
土地の人たちは薩摩揚とはいわず、「つけ揚げ」という。 シッチャゲと少々行儀の悪い呼び方をする人もいた。
骨湯
(more…)煮魚を食べ終ると、残った骨や頭に熱湯をさし、汁を吸うのである。 私の体が弱かったせいもあって、滋養になるからと祖母はかならず私に飲ませた。 私は目をつぶって飲んでいた。 今はこんなことをする年寄りも少ないと思うが、昔の人間は塩気を捨てることを勿体ながり、祖母は小皿に残った醤油まで湯をさして飲んでいた。