『父の詫び状』向田 邦子
薩摩揚
土地の人たちは薩摩揚とはいわず、「つけ揚げ」という。 シッチャゲと少々行儀の悪い呼び方をする人もいた。
骨湯
煮魚を食べ終ると、残った骨や頭に熱湯をさし、汁を吸うのである。 私の体が弱かったせいもあって、滋養になるからと祖母はかならず私に飲ませた。 私は目をつぶって飲んでいた。 今はこんなことをする年寄りも少ないと思うが、昔の人間は塩気を捨てることを勿体ながり、祖母は小皿に残った醤油まで湯をさして飲んでいた。
海苔巻
わが家の遠足のお弁当は、海苔巻きであった。
遠足の朝、お天気を気にしながら起きると、茶の間ではお弁当作りが始まっている。 一抱えもある大きな瀬戸の火鉢で、祖母が海苔をあぶっている。 黒光りする海苔を二枚重ねて丹念に火取っているそばで、母は巻き簾を広げ、前の晩のうちに煮ておいた干ぴょうを入れて太めの海苔巻きを巻く。 遠足にゆく子供は一人でも、海苔巻きは七人家族の分を作るのでひと仕事なのである。
五、六本出来上がると、濡れ布巾でしめらせた包丁で切るのだが、そうなると私は朝食などそっちのけで落ちつかない。 海苔巻の両端の、切れっ端が食べたいのである。 海苔巻の端っこは、ご飯の割に干ぴょうと海苔の量が多くておいしい。
馬肉
そのおでこには大きな馬肉がのっかっている。 馬肉は熱を取り腫れを除くというので、取り寄せたらしい。 枕もとで、腕組みした父がこの世の終わりといった思いつめた顔で座っていた。
どぶろく
母は教えられて見よう見真似でドブロクを作っていた。 米を蒸し、ドブロクのもとを入れ、カメの中へねかせる。 古いどてらや布団を着せて様子を見る。 夏は蚊にくわれながら布団をはぐり、耳をくっつけて、「プクプク・・・・・・」
と音がすればしめたものだが、この音がしないと、ドブロク様はご臨終ということになる。 物置から湯タンポを出して井戸端でゴシゴシと洗う。 熱湯で消毒したのに湯を入れ、ひもをつけてドブロクの中へぶら下げる。 半日もたつと、プクプク息を吹き返すのである。
ところが、あまりに温め過ぎるとドブロクが沸いてしまって、酸っぱくなる。 こうなると客に出せないので、茄子やきゅうりをつける奈良漬の床にしたり、「子供のドブちゃん」と称して、乳酸飲料代わりに子供たちにお下げ渡しになるのである。
すっぱくてちょっとホロッとして、イケる口の私は大好物であった。 弟や妹と結託して、湯タンポを余分にほうり込み、「わざと失敗してるんじゃないのか」と父にとがめられたこともあった。
その他
- 海水浴の帰りで、髪は濡れていたが肌はサラサラで、泳いだあとの眠いような快さがあった。
- 名古屋に住んでいる妹が家を新築した。 新宅祝いを送ったお返しが夕方届いたのである。 この妹は「握り矢印」とあだ名のあるしまり屋なのだが、(続く)
向田邦子サンの本は、お料理の描写にぐぐっとくるものがありますよね。祖母も塩を捨てるのは罰が当たると良く申しておりました。罰が当たる、、昨今は聞かないですね。
向田さんの文章が好きです。 この本の「あとがき」もまた素晴らしかったです。