長崎に降り積もった雪
早朝凍える体をさすりながらドアを開けば、一面の雪だった。
大晦日から元旦にかけても寒波が襲ったここ長崎は、天気予報を逐一チェックしていたから今回たぶん積もるだろうとは予想していたものの、こんな雪の量を見るのはいつぶりだろうか。
子供達はきっと喜ぶに違いない。
15センチは積もっている。 足を踏み入れたら「ギシュ、ゴシュ」という雪の圧縮される音がする。 すぐさま小学二年の頃、学校帰りに雪だるまを転がしたのを思い出した。 私が雪だるまを作ったのは、人生でこれっきり。
つまり、それ以来見た事のない雪量なのである。 と言う事は三十数年ぶりの降り方だという事か。
たとえ豪雪(我々の地方にとっては)であろうとも、日課であるランニングは欠かせない。 というかどちらかといえば、この雪の中を走ってみたいのだ。
ヒラヒラと降る雪は、時折猛烈な勢いとなり視界が遮られる程。 走りはじめてまだ5分と経っていないのに、足先がジンジン痺れてきた。 長靴で走るべきかを悩んだものの、普段のランニングシューズにした事を後悔しながら走ってゆく。
国道に出ても、さすがに車は走っていない。 タイヤの跡すら見当たらないので皆今回は、さすがに自宅待機しているのだろう。
もちろんすれ違う人もいないので、雪の舞う中ぽつんとひとりでただ、風の鳴る音だけを聞きながら進んでいると、なんだか自分が太古のヒトであるようにも感じられた。 ここで子連れの猪と遭遇でもすれば、さぞかし映える写真が撮れるだろうなと考えたりも、した。
そうだ、家に戻ったら雪だるまを作ろう。
ようやく温まった体の勢いに乗じて、着いたら即転がす計画を思いついてつい歩幅が広がる。
たぶん駐車場の雪が良かろう転がしやすくもあるし、と見当して戻ればすでに子供達が雪だるまの制作中だった。
もちろん休校となっていて、こんな雪の量なんて見た事がない彼らは、一心不乱にコロコロ丸めていた。
遅れて参加する事になった私は、いざ種雪を野球のボール大にまとめて早速転がしはじめた。
綿のように柔らかい雪は、転がす度に轍を残しながら塊に参加してゆく。
バスケットボール大にするのはワケもない。 ビーチボール大にはすでに子供達が達している。 私が思い描いているのは、絵に描いたような雪だるまをこしらえる事であり、例えるならドラえもんを二回り大きくしたくらいのサイズが欲しい。
子供達との共同制作も考えたが、彼らはそれぞれマイ雪だるまをこしらえている最中なので邪魔するワケにもいかないし、なにしろ雪だるまは一人の力で育ててゆくからこそ面白味がある。
10分も転がした頃、子供達のサイズと変わらなくなりやがてそれも越えた。
それから駐車場の雪では事足りなくなったので道路に出た。 何せ車はおろか、人間すらいないのだから転がし放題だ。 つい脳内で昔やったゲーム、塊魂のBGMが鳴り響く。
直径70センチを超えた頃だろうか、突如だるまがグンと重たくなった。 遮二無二転がしてきたが、振り返れば元の場所から150メートルは転がし歩んできている状況。
おそらく一人で転がす事ができるサイズの限界が近いのだろう、引き返す事にした。
一歩一歩、重い足取りでようやく子供達のいる場所へ戻ったら皆あまりの大きな雪だるまに「デカー!」と声を張りあげた。
子供達のだるまも大きくなってはいたが、やはり楽に転がせるサイズに限度があるのか、ある程度の所までくると、また別のだるまをこしらえたり、今度は雪合戦をはじめてみたりとひたすら雪を満喫していた。
直径1メートル近い雪玉を家の前に設置して、子供達のつくった玉を引き継いでしばらく転がし、その上に置いた。
イメージ通りのサイズ感に感無量。
あとはスコップで外径を整えて、目には橙、鼻はにんじん、口はキュウリで造形し、腕は黒竹を挿しこんで手袋を刺しこみ、仕上げに頭へバケツを乗せてフィニッシュ。
その姿をひとしきり眺めて満足したとたん、急に寒気が襲ってきた。 そういえばランニングからの帰りだったのでもう二時間以上この雪の中に居る事になる。
子供達は遠くでソリ遊びを始めた様子。
家に戻り熱い風呂に浸かって窓を開いたら、まるで雪国の温泉地みたいな景色が広がり、そのしんしんと降り積もる雪の美しさに、体を洗う事すら忘れしばし見惚れていた。