大根おろしの卵かけ
「大根おろしの上に、生卵を割り落とし、醤油をたらしてかき回して食う」
と、團 伊玖磨 の『パイプのけむり』にあったから、早速試してみたらこれがまた旨かった。 あっさりしたトロロのような味がして、ザックリ混ぜて匙ですくえば酒のアテにもなる。 もちろんこれをご飯の上にかけて、かっ込んでもイケる。
さて、以下『パイプのけむり』から気になったところをメモ。
大和煮
要するに、大和煮とは、甘醤油味で日本風に煮た主として牛肉の缶詰であって、缶詰になっていることが条件で、一般的な料理の名では無いらしい。
蟹漬け
有明海周辺、そして筑後川、矢部川流域に昔から家毎に作られていた蟹漬けには二通りあって、有明海の汐招きという蟹は、雄の鋏の片方だけが妙に大きくて、雌を干潟の巣穴に呼ぶためにその大きな鋏を上下する動作が沖の汐を招いているように見えるのでこの名が付いた訳なのだが、この蟹を干潟で捕らえて、塩と胡椒(九州では唐辛子を胡椒と呼ぶ)を加えて甲羅、鋏ともに細かく砕いて一種の塩辛を作る。 これが誠に美味なのである。
もう一種は汐招きでは無くて、材料を渓川に求めて沢蟹を捕え、同じ方法で作る。 正確に沢蟹漬けと言う人も居るし、単に蟹漬けと呼ぶ人も居る。 これが又止事無く美味である。 味は双方とも塩と胡椒の味に仄かに蟹の香りが漂っているだけなのだが、最高なのはその甲羅と鋏等の砕かれた細片の歯触りである。
食とは
食は最もその地の産物をどう食事に摂り入れるかの人間の智慧を端的に窺う事が出来る文化入門だと思う。 要するに食は文化を舌で知る事以外の何物でも無く、当今流行する浅薄な、何屋の何が美味しいと言うような事だけのグルメ人間と僕は全く異界の人である。
上品、中品、下品
世界中の料理を味わって来て、僕は思うのだが、味には、上品、中品、下品のそれぞれの良さがあって、そのどれもが捨て難いという事である。
そして言える事は、上品である可き味が中品や下品に傾いて来ると、 日本のフランス料理店の味などがそうだが、美味なる可きものが不味となり、下品なる可き美味が中品や上品に這い上がろうとすると、 これ又折角の味が不味と化する事である。
スパゲッティ
僕は永い事、スパゲッティというものはマカロニの芯だと思っていた。 別に熟考の末そう決めたのでは無く、何時からとも無く、ま、そんなものだろうと思っていた訳で、或いは、子供の頃、誰か大人が揶揄ってそんな事を言ったのを本当にして、ついうかうかと半世紀を過ごしてしまったのかも知れない。
良い加減な事を言って子供を揶揄ってはいけない例がここにもある訳で、そう思っていたものだから、何時の間にか心の中でその製法迄を組み立てて、先ずスパゲッティを作り、それに粉を振り、密着しないようにしてから、その一本々々を麺棒のようにしてころころと転がして外側に伸ばした麺を巻き付け、お湯にでも通して、中の芯になっているスパゲッティを抜き取ると、そこに出来るのがマカロニなのだと信じていたのである。
中の芯、つまりスパゲッティを抜き取る技術が難しく、やり損なうとスパゲッティもマカロニも同時に切れて廃品になってしまうので、この處の技術をイタリアの各製造会社は秘密にしていて、或る会社では一端から噴射する空気を送って芯を押し出す加圧式を用い、或る会社では逆に一端から空気を吸う仕掛けを用いていて、この方は減圧式と呼ばれている、のではないかと思ったりしていたのである。
以上。
ちなみに團さんのお母さんは、その昔長崎にあった上野屋という旅館のオーナーだったらしい。