う、梅だウメ
うーん・・・、何か忘れているような気がする。 でもそれが何なのか思い出せない・・・。 えーっと、何か録画し忘れたのかな? 「幸せのちから」はamazonで予約したし、出生届も出したし、土曜日は8時からの約束だし・・・・。 あ、うめっ!
このところのゴタゴタで、梅干を漬けることを忘れていたのだ。 ヤバい。 間に合わないかもしれない。 時代に乗り遅れる。 さっそく野菜屋に電話し、南高梅とやらを20kg確保する。 「あー、オイくん、もうギリギリだよね~」なんて言われる。
梅を取りに行ったら、ちょうどよい頃合に熟していた。 半日間水没させておいて、ヘタ取りに精をださねば。 でも最近は、息子が手伝ってくれるんだよね。 楽。
豪華な病院食
息子、娘、オイの3人で暮らしはじめて5日になる。
育児というものは大変なことである。 時間が圧倒的に、なくなる。
朝と夜の食事を作ることさえままならない。(昼飯は保育園で食っている)
朝ゴハンはいつものように魚の開きに豆腐、海苔、納豆、牛乳、そして炊き立ての白いご飯といきたいところだが魚を焼いている時間がない。 よって、トーストにハムエッグ、牛乳ということになる。 子供たちからは『米を食わせろ』というクレームがつく。
夜ごはんを作る時間も限られている。 子供たちが好きそうなメニューと酒肴を2、3品作り、ワシワシ食べる子供たちを見ながら一杯飲るというのもよいものである。 がしかしそのようなヒマはない。 20:00時までには子供たちを寝室へ連れ込まないと その後寝つきが悪いし、酒なんて悠長に飲んでいるヒマが、そもそもない。(嫁が入院してからこのかた酒を断っている)
このように時間が非常に限られた状態であるからして、晩ご飯はホカ弁になってしまったり、スーパーのお惣菜になってしまったりする。 別にそういう出来合いものがいけないというわけではないが、手作りの晩ご飯を食べさせてあげれなくて、なんだかかわいそうな気がしないでもない。 しみじみそう思う。
本で読んだが、近年子供たちの一回の食事に含まれる脂肪含有量が大人よりも増えているのだとか。 その原因は、大人たちは仕事に忙しく、子供たちは塾や習い事に忙しく、なにかと一人で食事を済ませる時間が増えて、結果、脂肪分の多いファーストフードを食べてしまうからだとかそういう話が書いてあったように記憶している。
とにかく、オイだけでは2人の子供の面倒をみるのは大変だ。 嫁も居ないとイカンということに気づいた。 前回娘を出産する際は、嫁の入院中に面倒をみる子供が息子のみであり、気心が知れた男2人、のんびり楽しく過ごしたという記憶がある。 これが娘一人増えただけでこうも大変になるとは。 いやまてよ、と、言うことは、娘の世話が大変だということなのか。 そうそう、そうなのである。 我が家で最終的な決定権を持つのは、常に娘なのである。 オイがニュースを見たいと言っても、101匹ワンちゃんを見ると娘が言えばそれを見なければいけない。 息子から山に連れて行けといわれても「蚊がいるからいかない」と娘が言えば、その計画はおじゃんである。 まるで「世界のクロサワ」並みの独擅場。 娘を嫁にやると仮定して、将来の旦那さんにはしみじみ同情をする。
嫁は必要だということが判明し、3人で暮らすのも残すはあと1日にせまった頃(ヤッタ)、嫁が病院に赤ちゃんを見においでよと、言う。 生まれてからたった数日でも、大分大きく育っているらしい。 週末だし、明日は保育園お休みだし、イッチョ、行ってみっか。
我々3人がちょうど病院に着いた時、赤ちゃんはベビーベットに寝せられており、出産時との変わりように一同驚愕の声を上げる。 そして嫁はというと、晩飯中であった。 その晩飯を見た瞬間、我らは凍りついた。
ハンパでなく豪華なのである。 これは晩飯というかディナー。 カッチョイイディナーを、嫁はひとりだけ楽しんでいたのである。 部屋のドアが開き、おばちゃんが「パンのおかわりはいかがですか?」という。 嫁は「じゃ、お願いします」なんてホザク。
なーにがパンのおかわりだこのやろう。 この皿は一体何という料理名なのだ。 牛肉のクセしてベーコンなんか巻きつけやがってイキガッテんじゃねぇよ。 でもチョット食わせてみろよ。 なんでえ、ウメーじゃねえかこのやろ。 嫁、ワインを持って来いとお願いしろ。 何、アルコールはないのか。
ここ数日、オイたち3人が、さびしくしみじみと出来合いの魚フライやいなり寿司を食べていた頃、嫁というヤツは病院で優雅に、上等の食事を食っていたのである。 なんて不平等な人生なのか。 いや、そもそも人生というものは不平等なものなのだ。
とりあえず嫁は家に帰ってくる。 あぁ、本当によかった。
一気をすすめて自滅するヤツ
「じゃあ今度一杯いきましょうか」
なんて会うたび、別れ際に言ってても、なかなか行く機会がない。 そもそも行く気もあまりない。
そんな人と、たまたまご一緒する機会が生まれた。 知り合いの知り合いつながりで、運命的にその人とつながっていたのだ。 「オイくんが焼酎が好きとか言ってたので、焼酎を豊富に常備しているお店を選んでみたよ」なんておっしゃる。 お心遣い感謝いたします。
総勢4人皆男である。 「とりあえず乾杯」と、飲み始める。 一人を除いては、初対面の人ばかりだ。 坊主頭の太っちょの彼が、今度一杯行くという約束を度々していたN氏であり、オイの正面に座る。 その横には、メガネをかけた若めのイヤミといった風貌のO君が座っている。 残る一人は、あまり特徴がないのでそっとしておこうか。
O君は4人の中で一番若手であり、皆を気遣う。 「生ビール、おかわりいきますか?」とか「つまみ、他なんかいりますか」とかいってメニューを広げる。 空いた皿はすぐにテーブルの脇にまとめ、店員を呼び片付けてもらう。 なかなか気のきいたイヤミである。
「Oくん、そんなに気を使わなくてもイイよ。 なんちゅうかこう、バーっと飲んでよ。」と言ってみる。 Oくんは、うれしそうにクロブチメガネを右手の人差し指でヤッさん風にずりあげながら「ワ、わかりました」と答える。
「飲んでよ」とすすめてみたものの、O君は青白く、細く、メガネの奥の細い目にはなんだかアセリを感じられる。 もしかすると、お酒はあまり得意な方ではないのかもしれない。 という風に思えたので、これ以上お酒をすすめるのはやめておいて、坊主のN氏とゆっくり飲もうか。
「早速、焼酎いってみましょうか」
この店は焼酎が豊富に置いてあるそうなので、それらを片っ端から飲んでみようかと、N氏に言うと、同意を得られる。 それでははじめに、麦からいきますか? 米?なんて2人で焼酎を物色していると、O君が突然口をはさみ「麦でいきませんかー?」と言う。
「O君、焼酎飲めるの?」と聞くと、酒ならば何でも飲めるのだそうな。 人は見かけにはよらない。 それではO君にしたがって、麦を飲りましょうか。 ビールで若干顔を赤らめているO君は、少しテンションが高くなってきているみたい。
「オイさん、オレ、学生時代は、アドベンチャー部だったんですよー」と自慢げに言う。 アドベンチャーとは一体何をやるのか? と聞いてみると、探検とか、ナントカカントカ・・・・。 ふーん。 しかしアドベンチャーという言葉がこうまでも似合わない人物というのもなかなかいない。
「じゃ、アドベンチャーに、乾杯っ!」とめんどくさそうなので話をさえぎってグラスを交わそうとすると「ちょっと待って」とN氏が間にはいる。 この店のグラスは、皆バカラであるからして、乾杯は禁止なのだとか。 ふーん。 別にイイじゃないか。 でも仕方が無いので、小さく乾杯。
乾杯をするやいなや、O君は麦焼酎ロックを、一気飲みする。 なんで一気飲みするのかと尋ねると、それがいつもの飲みかたなのだとか。 アドベンチャー。 その後、O君は周囲のグラスの空き具合に気を使いながらも、自分のグラスには麦焼酎を並々と注ぎいれて、一気飲みを続ける。
「酒強いんだね」というと、うれしそうにニンマリとする。 飲むにつれて、段々とテンションも上がってきている様子。 イヤミ風に、アドベンチャーな話題を語りはじめる。 「オイさん、デザイン建築に興味ありますか?」なきにしもあらず。
3本目の焼酎を飲み始めた頃から、イヤミの様子が変わってきた。 相変わらず一気飲みをしているのだが、その際、周囲にも一気飲みをするように促す。 グラスを傾けて一気飲みをしながら、相手のほうを向き、手のひらを上にして「さ、飲んで、飲んで」と言わんばかりに手であおる。 その姿はまるで「千と千尋の神隠し」の顔なしがカエルを金でつり、食べちゃうときの手の動きに酷似しており腹が立つ。
自分が好きで一気飲みをしているのだから勝手に一気すればよいではないか。 何故一気飲みを他人に強要する。 一気飲みはいけないのだぞ。
少し意地悪をしたくなったオイは「焼酎ばかりもアレなんで、今度は泡盛でも一気飲みしてみたらどうですか?」と促す。 「イーですねー!」なんて風にノル気である。
40度の泡盛になっても、一気飲みを続けるイヤミに半ばあきれながら、でも少し面白がりながら、話を聞いていると、どうも自分の人生について、大きな後悔をしている様子である。 おそらく、建築家になりたかったのだが、その夢破れ、今の仕事をしゃーなしやっている風なコトを言ってる。 この酒は、半ばヤケ酒なのかもしれない。
「人生後悔はつきものだ。 しゃーない。 がんばれば?」
という風に少し励ます素振りを見せたら、急に泣き崩れた。 ウォーウォーと、泣く泣く。 泣き酒だ。 「泣くな泣くな。 気持ちはよくわかるよ」と同情した素振りをみせると、飲む飲む。 飲みつつ泣く。 そしてオイに一気飲みをするように促す。
その後オイとイヤミはいつの間にか2人だけになっており、朝方までバーで飲んでいた。 イヤミを家まで送り届けなければいけないのだが、家がどこかわからない。 家を聞き出すのに30分ぐらいかかった。 タクシーの運転手さんにも多大な迷惑をかけた。 もしかすると、タクシー自体にも、イヤミの口から放出されたものをかけたのかもしれない。
よく考えてみれば、オイはイヤミと飲むために今回の宴に出席したわけではない。 坊主のN氏と飲むためだったということに、家についてから気づいた。
指から針が出る人
腹が減ってどうしようもなくて、17時頃ラーメン屋に入る。 晩飯まではまだ長いし、少し腹ごしらえをしておこうという魂胆だ。
だけどあまりの空腹が故に、替え玉をしすぎ、サイドメニューも注文しまくり、たった一人でそのラーメン屋のフルコースをを食べ尽くしてしまった。 満腹にはなったが、何故ラーメン屋で腹いっぱいになるまで 食わねばならなかったのか、何故夕食をラーメン屋で済ませてしまったのか、しかもまだ5時だし。 どこか寂しい思いが脳裏をめぐる。
しかし満腹になってしまったものはしょうがない。 家に帰って子供たちの晩御飯を作ってやらねば。 急ピッチで晩御飯をこしらえ、子供らに食べさせる。 そして、就寝前のなごやかな時間を家族で過ごす。 ふーん幸せ。
携帯が鳴る。
少しいやな予感を感じながらも、携帯を開く「ゲッ、Eだ」
E君は今だ独身なのをいいことに、遊びほうけている人物であり、古くからの友人でもある。 独身が故、家庭を持つ者の安らかなひと時というものを知らず、自分がヒマならば、いつ何時、どのような場所にいても電話をガンガンかけてくる空気を読めない人だ。 どうせ飲みに行こうとか言うにきまっている。
「飲みにイ・コ・ウ・ゼ」とすでに酔っていることが電話口でもわかる。 ダサい。 「いやね、だから、もうメシ食ったんだよね。 ラーメンを山のように食ったんだよな。 もう飲めないし、たとえ飲めたとしても、チビたちと遊んでいるから行かない」
このようにキッパリとお断りしたにも関わらず、どうしても来いという。 オイ嫁は、自分が説得してあげるから是非出て来いという。 そこまでいうならば、何故わざわざラーメンで腹いっぱいの風呂にも入って子供とお遊び中のオイが出向かなければいかないのか、理由を言え。
「指から針がでる女が来る」
という。 何のことだかさっぱりわからん。 わけがわからなくなったところで、サッサト電話を切ろうかとすると「マテマテマテ」という。 指から針の出る女は、マッサージがとても上手く、どのような疲れも取り去ってくれる不思議な力を持っているとかなんとか熱く語る。
酔っ払いの戯言といえばそれまでだが、気にならないでもないという気になってきた。 遠くないし、ちょっと行ってみるかな。 ということで嫁に「指から針が出る女を見に行ってくる」と伝え、冷めた目で見送られながら、家を出たのだった。
E君が見えたので、タクシーを降りる。 半にやけのE君が「オイ~」と近寄ってくる。 不気味だ・・。 中華料理屋で針の出る女&その相方と待ち合わせをしているそうで、まだ時間があるらしい。 だから少し腹ごしらえをしたいとのこと。 「そうだ、ラーメン食わない?」なんてふざけたことを言う。 青筋たてながら、今日の17時頃の話をした。 それでもどうしてもラーメンが食いたいのだというので、ついていく。
これがまたマズいラーメン屋に入るわけだ。 相変わらずE君の味覚はおかしい。 「へへ、この店はね、旨すぎて、スープ泥棒に入られたことがあるらしいよ。」といつものキメ台詞を言う。 んなこたないと、断言したい。 何回食っても、この店は病み付きにはならないということは事実だ。 このラーメン屋は、マズい。 腹減ってても食わない。 と心で思いつつも、E君がラーメンを食い終わるまで、ビールでも飲んでおく。
マズいラーメン屋は大体店員の私語が多い。 しかも、客の会話よりも大きな声でショーもない話をしゃべりまくっている。 たまに客が入ってくると、先に食券を買うように促し、客の背後からどのメニューの券を購入するのかをうかがっている。 決めあぐねている客がいると、少しイライラした様子でさらに観察を続け、味噌ラーメンを購入したとするならば、客が席につくまえに、すぐさま丼に味噌を放り込み、スープを注ぎ込み、かき混ぜている。
この作業は、客にいち早くラーメンを食べさせてあげようという心配りからくるものではなく、手っ取り早く客の注文を済ませて、はやく隣のスタッフとしゃべりたいといのだという本心がミエミエの、やりかたである。
一応職人っぽく麺をかき混ぜたり、その他ラーメン職人がやるであろう動作をしているが、どれも雰囲気だけでスキルは伴っておらず、幼稚である。 一度、全国の有名ラーメン店を視察に行け。 それからしゃべれ。
このように、ビールを飲みつつ、エセラーメン職人を観察している横で、ラーメンをすすりながら指から針が出る女の話を語るE君。 要は、E君自身も今日初めて会うのだそうで、数千円払ってマッサージをやってもらいたいのだが、話に聞くと、一人で向かうのはなんだか恐ろしいので、オイについてきてもらった、ということになる。 ビビリだ。
E君がようやくラーメンを食い終わったので、待ち合わせの中華料理屋へ向かう。 何故待ち合わせが中華料理屋なのか、何故中華料理を食べる前にラーメンをすすっておかねばならないのかという細かな疑問もあるが、E君とはそもそもこういう人だし、いいか。
中華料理に着いたが、指から針の出る女はまだ来ていない。 店内のイイ臭いにつられて少し腹が減ってきた。 よし、北京ダッグを食ってみるか。 「紹興酒と北京ダッグを下さい」 しばらくして、艶やかな北京ダッグが運ばれてきた。 それを厨師が目の前で皮を削いでくれる。 あまりにも旨そうで、紹興酒のピッチが早まる。 もはや、指から針の出る女の話なんてどうでもよい。
北京ダッグをつまもうとしたそのとき、指から針の出る女は現れた。 2人連れで、おそらくどちらも女である。 しかもどちらも似ており、どっちから針が出るのかはわからない。 メガネをかけており、体格がよく、おとなしそうな人物。 一応、にこやかに挨拶をしておく。
実は背の少し大きいほうが、針の出るほうであり、それを知ったE君は、少し緊張したようで、紹興酒をあおる。 「マッサージをやりたい方はどちらですか?」と聞かれたので、E君を指差す。 すると早速E君は注意をうける。 マッサージをする前は、酒は控えてほしいのだという。
単刀直入に、指から針が出るとは一体どういう現象なのですか?と尋ねてみた。 すると本人ではなく、おそらく女性である相方が、耳を触ってもらえという。 急に耳を触ってもらえと言われても抵抗がある。 見ず知らずの人に耳を差し出すのは気が引けるし、本当に針が出るのであれば、オイの耳はどうなってしまうのかはわからない。
ここでひとつ断っておきたいわけだが、オイは疑い深い。 TVのスピリチュアルナントカとか、カントカ先生の占いなんて、まったく信じてはいない。 大槻教授は大好きだ。 だが、この世にそのような現象がまったくないとは断言できない。自分が実際経験したり、見たりすれば、もちろん信じる。 がしかし、見たり経験したことがない。
指から針の出る女はオイの右側に座っていたので、そのまま右耳を恐る恐る差し出してみる。 横目で針女の手がオイに伸びてきているのがわかる。 そして、耳の中ほどに軽く触られた。 瞬間、激痛が走る。
耳も痛かったが、全身痛かった。 本当に針で刺されたのではなかろうかと思い、女の手をつかみ、指先を見るがなにもない。 耳も無事のようである。 一体。
なんでも、体に悪いところがあれば、耳を触られると痛いのだそうで、悪いところがなければ、別に痛くはないのだそうな。 それではオイの体のどこが悪いのかというふうに尋ねてみると、なんでも胆嚢が悪いのだとかいう。
おかしいね。 この前の健康診断では健康そのものっていう結果がでたんだけどな。 と伝えると、そのような検査結果には、もっと悪くなってから現れてくるのだそうで、今のうちに注意しておいたほうがよいのだそうな 。 酒の飲みすぎて、胆嚢に負担がかかっているのだとか。
酒はよく飲むが、飲まれることはないし、休肝日も設けている。 だのに、胆嚢が悪いといわれれば少しは気になる。 へえ。 耳が痛かったのは事実だ。
どうにも納得がいかず、耳以外では、体のどこが悪いのかはわからないのか? と聞いてみると、耳以外でもわかるのだとか。 それならばと、今度は手を差し出してみた。 さあ、触ってみてください。 針女は、オイの人差し指に着目し、人差し指を軽くつまむ。 少しヒネられた瞬間、激痛が走った。 これもやはり、体が悪い証なのだとか。
以前、You Tubeで、レーガン大統領のSP(だったっけな)が、日本の合気道の先生にいとも簡単に取り押さえられたという映像を見かけたような気がするが、まさにそのような感じを受けた。
少し触れられただけでもこの痛みなのだから、全身をマッサージされるとなると、体が悪い人にとっては自殺行為のようにも思える。 E君は、不健康の塊のような人物なわけだから、もしかすると、お亡くなりになられるかもしれない。 でも指から針の出る女は、霊魂やオーラも見ることができるそうなので、簡単に呼び戻してくれるのかもしれない。 なんて老少豆腐を食べながらひとり考えた。
オイならばマッサージは絶対お断りする。 そういえば、その日以来、E君に会っていないし、連絡もない。 もしかすると・・・。
キッチンハイターって強い
毎日調理をしていると、キッチン周辺、器具、調理している本人がだんだん汚れてくる。 つまり定期的なお掃除が必要である。
(more…)足ツル
ヨメが臨月を迎えた。
今回で臨月を迎えるのは3回目だが、毎回決まって出る症状に、「足つり」がある。 就寝中、突然うめき声が聞こえる。 「はっ、生まれるのかーっ!」と、一気に目が覚める。 すると「あ、足がー」ともだえ苦しむ嫁。 寝てる最中に、両足がつるのだ。
少なからず足つり経験のあるオイは「よし、深呼吸をしろ。 ふくらはぎ、すね、どっちがつってんの?」と声をかける。 「両方両方ムガー」と苦しむ嫁。
たしかに、足に関わらず「つる」痛みは尋常ではない。 筋肉の繊維一本一本が、まるで引きちぎられているかのような痛みは想像しただけでも苦しい。 神様はどうしてこれほどまでの苦痛を人にお与えになるのであろうか? なんて言いたくなるぐらいだ。
スネ、ふくらはぎ両方がいっぺんに、さらに両足ツルという苦難に毎晩遭遇するヨメは実に気の毒である。 原因は何か? 妊娠にともなう何かしら栄養素の不足なのではなかろうか?
という風に考えたオイは、ツリによさそうな食べ物を考えてみる。 そもそもツリ防止に効果がありそうな食物なんて思い浮かばない。 関連がありそうな気がしたのは牛スネや牛スジ。 よし今日は、スネスジを食わせてみてツリの様子を見てみようかな。
排水口との戦い
※今回は食物の話ではありません。
初節句の中華をなんとか作り終えることができた。
イロイロ沢山作ったのはよいが、後片付けというのもなかなか大変な話である。 山のように使われた食器、調理器具。
自宅で調理をする場合、何がどこにあり、どう使ったほうが一番能率がよいのかは、体が覚えている。 でも、よその家で調理をした場合、その逆である分、キッチンがメチャクチャになりがちである。
姉は料理を作ることがキライである。 なので、調理器具や調味料などには興味がない分、家になにもない。 ショウガぐらい買っておけ。 何故土鍋がないのだ。 サラダ油こんだけしか在庫ないの?うそ・・・。 っていうか、包丁全然切れないじゃないか。 お玉ってひとつしかないの? え?炊飯器ってこの大きさなん?これで家族皆食べる分お米炊けんの?
そのクセ、食べることは大好きであり、イチイチ口うるさい。 味が薄いだの辛いだの、こうすればもっとウマイだの注文をつける。 酒が入るとさらに拍車がかかる。
話をまとめさせていただくと、オイが姉宅で料理をし、散らかった。 いつもと勝手が違う分、余計に散らかった。 それを片付けなければならない。
山のように積まれた食器を一枚一枚洗う。 だんだんと熱中しながら調理器具も洗いまくる。 それらを大量の水ですすいでいると、あれ、なんだか水が溜まりはじめている模様。
排水口の水の流れが悪くなってきており、段々と洗い場の水かさが増していく。 「なーに、そのうち流れるさー」と気にせず食器をジャンジャン洗い続けていると、どうやら排水口は完全に詰まってしまっている模様。 このままでは排水が洗い場から溢れ出し、キッチン水浸しで大目玉を食らうことは間違いない。 とりあえず水を止めて食器洗い中止。 何か詰まってんだろうと排水口らへんを手探りしてみると、もやしの空き袋(ビニール製)が排水口に張り付いていた。 この袋が、水溜りの原因だったのだ。 早速その袋を取り除く。 水がドドーっと流れ始める。
あれ?流れない。
もやしの袋を取り除いたにも関わらず、水が流れていかない。 予想では、袋を取り除いた瞬間に、ものすごい勢いで水が排水口へ流れ出るハズだったんだけど、まったく流れていかない。 うーん嫌な予感。
こりゃ何か詰まってんな。 排水溝には、今回のような事件にならないように、メッシュの受け皿が取り付けられており、万が一、異物が排水口に流れていこうとした場合、それを未然に防止するという重要な役割を果たしているわけだが、そこには何もない。 ゴミひとつない。 ということは、このメッシュの受け皿より内部に、なにか異物が詰まっているに違いない。 なんで詰まったのかはわからない。 確かにイロイロ調理をしたが、排水溝に何かを放り込んだ覚えはないのである。
とりあえずメッシュの受け皿を取り外してみる。 手探りで大きく開いた排水溝の中を調べてみても、何も詰まっていない。 どうしてか。 何も詰まっていないのに、水が流れていかないワケがない。 もしかすると異物は、排水溝のもっと深いところに詰まっているのかもしれない。
これでは食器洗いどころではない。 水が流れないのだから、洗えるわけがない。 まずは排水口の詰まりを直さなければならない。
「おい、姉。 排水溝が詰まっているよ。」と報告すると、罵声を浴びせられた。 すでにオイが犯人だと決め付けている様子。 そうかもしれないが、現段階ではオイが犯人かどうかはわからない。 対策として真っ先に思いついたのは、厠が詰まった際に使用する例の『ズッポン』。
ゴム製の空気圧によって詰まりを直す柄付きのアレである(正式名称って何なんだろ)。 姉に聞いてみると、そもそも家には置いてないのだそうな。 買いに行くのもメンドクサイし、遠いし、ならばズッポン無しで、排水溝を修理してみようではないの。
タオルを丸めて、排水溝の口に当てる。 そしてそれを勢いよく、引く。 ズッポンよりも威力はないものの、同じ原理の力が働いている音がする。 排水口内の空気が吸い上げられているような「ゴフォ」という音がする。 なんだか期待が持てなくもない状況だと悟ったオイは、連続してタオルでズッポンをやる。 ムキになって10回、20回とタオルでズッポンを行うと、排水溝はそれにあわせて「ゴフォゴフォゴフォゴフォ・・・」と音をたてる。 がしかし、詰まりは解消されない。
手が疲れたので、タオルを持ち替えて、さらにズッポンズッポンやる。 エイコラサ、ドッコイサ、それでも水は流れません。 ダメダ方法を変えよう。 ワイヤー製のハンガーを探し出してきて、それを伸ばす。 そして排水口のなかへ突っ込む。 そして勢いよく上下させる。 一向に、詰まりが解消される気配が無い。
人生ダメなときはダメなものである。 ここはひとまず休憩をとり、ゆっくりとコーヒーを飲む。 「いやーしかし何が詰まったんだろうね。 心当たりはないの?」と姉に聞いてみるも、ないのだとか。 オイが大量に中華を作ったのが原因だと、断定してきた。
しばらくがたち、騒然としたキッチンへ戻る。 まるで画に書いたような散らかりっぷりである。 どうもハンガーは効果がイマイチだったような気がするので、再びタオルズッポン作戦でゴリ押ししようではないか。
ズボズボズッポンすること30分、ついに、水がかすかに流れ出した。 よしここが勝負時、さらにズッポンをくりかえすと「ゴフォォォォ・・・ジュルジュルー」と、水が流れ出した。 そこで浮かび上がってきたのが丸い骨のかけらが数個。 「ん?これは、豚の骨だ!」
日ごろから慣れ親しんでいる分、その丸っこい骨が豚の骨だということが一目でわかった。 今日、オイはこの場所で調理をしたが、豚の骨は一切持ち込んでいない。 豚骨スープだって自宅で抽出して、スープのみを持ち込んでいるわけだから。 したがって、この水詰まりの原因は、オイではない。
そのように告げると、姉はしばらく考え込む。 あっ
数日前、自宅で宴会をした際、誰かが豚足を持ち込んでいたのだとか。 もしかすると、ホロ酔いの姉が後片付けをする際に、豚足の骨をついうっかり排水溝に流してしまったのかもしれないということだった。 オイに詫びてもらおうか。 そして、食器洗いはオマエがやるのだ!
と、言いたいところだったが、調理をするだけしておいて、後片付けをしないというのもなんだか気持ちが悪い話なので、手伝ってもらうことにして、水詰まりの件は一件落着ということで。
一歩たりとも譲らない嫁
豆腐の水をよく切って、小ネギやショウガを散らし、食卓へ運んだものの、醤油さしが空だった。
ちょうどタイミングよくヨメがキッチン内にいたので「醤油がきれてます」と伝え、補給してもらう。 ちなみに我が家では、数種類の醤油をブレンドするのが今ハヤっている。 そうなことはどうでもいい。
「ハイヨ」と、醤油さしをオイに渡すヨメ。 「ホイ」と受け取る。 そして豆腐の頭上から並々と醤油を注ぎ込もうと醤油さしを傾けた瞬間「ボトリ」という音をたてて、醤油さしの頭が取れた。
我が家の醤油さしはガラス製であり、頭だけでも結構重たい。 そんな醤油さしの頭が豆腐の上に落ちたものだから目も当てられない。 豆腐はまだ一度も箸をつけていないにもかかわらず、グシャリと中心に穴が開いた。いくら木綿豆腐だからって、この衝撃に絶えられるはずはないのである。
豆腐がつぶれただけならまだしも、当然のごとく醤油はテーブル上にぶちまけられ、とても文章では語りつくすことの出来ない有様。 そこで隣に座っていた息子がいち早く反応し、オイの頭めがけて平手をかます。 「おーべーか」
いやこの有様は欧米でなく日本である息子よ。 しかもオイは醤油さしを傾けただけであって、醤油さしの頭を緩めたつもりはない。 犯人は間違いなくヨメだ。 醤油を補給したヨメでしかない。
「くぅオラ、オメエ、醤油さしの頭ちゃんとしめなかっただろうが。」すごい剣幕で文句をいうと一言「ちゃんとしめた」と言う。 「ちゃんと閉めていないからあふれたんだろうが」なんてツッコムと「たしかにちゃんと閉めた」としか言わない。 言い張る言い張る。
そういや前にも苺を食ったクセに食っていないと言い張ったことがある。 こりゃダメだ。 掃除しよ。
食後のコロコロ運動
たまにいつもよりも早く夕食をとる場合があり、美味しく食べた後は、まるで岩盤浴をするアシカのように電気カーペットの上にゴロリと寝転んでテレビを眺めていたりする。
まったりとしていると、少し遅れて夕食を済ませた子供たちが腹の上に飛び乗ってくる。 そのすばやさに反応できないオイはまるで塩をかけられたナメクジのようにゆっくりともがく。 満腹なので、通常時よりもパフォーマンスが著しく低下しているのである。
子供たちにとっては、オイが寝転んでジッとしている様がどうやらカモに見えるらしく、スキを見ては襲いかかってくる。 よって子供たちが寝るまでは、親として本当の休息の時間は無いに等しいのだ。
「あ、あと1時間ちょうだい。 そうしたらいつものように飛行機とかアクロバティックなコトをして遊んであげる」なんて交渉してもムダだ。 子供たちには、『今』しかないのである。 それならばどうにかしてこの猛攻を避けねばならぬわけで。 あげくの果て考え出した方法が『コロコロ運動』である。
コロコロ面がちょうどシールみたいに粘着力があり、それをコロコロとすることにより、カーペットなどにめり込んでいた小さなゴミがとれるというよくある代物。 ゴミがコロコロいっぱいにくっついて、もはやゴミがくっつく隙がないようになったらその部分は破り捨てる。 そうするとまた綺麗な『ゴミ吸着面』が現れるというスグレモノ。
冷凍マグロのように横たわり、右手にコロコロを持ち、コロコロ。 またたく間にゴミくずが付着し、コロコロは接着力を失ってしまう。 その面をバリリと破り捨て、またコロコロコロ。 こうしてみると、カーペットって結構汚れているものだねと、つくづく思う。 しかも一見ゴミなんてないように見える場所も、コロコロしてみると、カーペットの奥に入り込んでいたゴミなどがとれる。
このようにオイが転がっていてなおかつ、右手でコロコロできる範囲のカーペットを掃除するのだ。 ていうか、満腹すぎて、そのくらいのことしかできないのである。 とにかく黙っていると子供らの攻撃を受けるということは確かだ。 なので、右手だけをコロコロ動かし、あたかもお父さんは掃除している風に、働いているのだ風に、子供たちに見せ付けるのだ。 そうすると子供らはそれなりに「邪魔しちゃイケナイ」なんて思うのだろう。 手を出してこなくなるのだ。
なので少し早めに夕食をとった後には、必ずコロコロを転がし、カーペット掃除をしているフリをしているというわけ。 いやフリではない、実際ある部分は綺麗に掃除されているハズである。
雲仙福田屋:丸太ん棒の湯
「ふー。 あーキモチー(濁り酒をグビリ)ふー、やっぱつかれたら温泉たいね。 さて。 風呂上りの一杯のためにサウナで汗でも流そうかな。 ガコン(すると突如後頭部に激痛娘に風呂桶で殴られたのだ)」
あたまをさすりながらサウナに入り、目を閉じる。 大体7、8分経った頃から全体から汗がにじみ始める。 「もうちょっとガマン」とふんばり 、12分経過した頃ドアを開け放ち、水風呂へドボン。 体がバカになっているのか、あまり冷たいとかいう感じはしない。
1分ぐらい水風呂に肩までつかったのち、再びサウナへ。 一回目とは違い、わずか4分程度で体中から汗がワーっとふきだしてくる。 サウナの醍醐味はここからである。
これを数回繰り返すと、汗がとまらなくなる。 ここであらかじめフロントから借りておいた風呂専用のビニール製文庫本を手にとり、読みふけること20分。 頭がクラッとしたところでサウナから出る。
こどもたちは丸太から流れ落ちる湯をかけあったり、若干飲んでみて顔をしかめたりといまだ元気ではあるが、ヨメはすこしのぼせ加減になっている。 オイはというと、体が干からびるほど汗かいたのだから、ホントは一刻も早く風呂から上がり、生ビールを大ジョッキで2杯、立て続けに飲み干したい気分であること必至である。
いや、家族を残して自分だけ先に風呂から上がり、一杯はじめようかという考えさえ頭をよぎる。 イカンイカンイカン。
福田屋さんには民芸茶屋「力」とかいう食事処があり、そこの目玉は器が溶岩で作られた溶岩○○である。 子供たちはそれらを一通り注文したので、オイは刺身で一杯やる。
いわゆるひとつの瓦そばですな。
付け合せしか食べなかったので味は知らんが子供ウケはよかった。
ヨメ完食。
いずれも溶岩の器が熱くてジュージューと音をたてる。 その演出効果は味に一役買っているのはいうまでもない。
雲仙福田屋:大変よいお宿でした。