う、生まれた
飲食するときに、必ず人を誘う人物がいる。
昼飯にラーメンを食べに行こうと誘われた。 しかし、やるべきことがあるのでどうにもいけそうにないと答えようかとも考えたが、それもなんだかかわいそうなので、一緒に行ってやる。
「じゃ、30分後に待ち合わせだぞオイ」
なんて自分で行っておきながら、約束の時間、場所へ行くと、すでにラーメン屋に向かっているとのこと。 基本的に、時間を守る輩ではない。
遅れてラーメン屋に着いたら「あれ、遅かったね。 ラーメンもう頼んじゃったよ」とか言う。 一分たりとも遅れてはいないハズなんだけど、あわててラーメンを注文する。 でもよく考えてみたら、先に一人で行けるのならば、そもそもオイを誘うこともなかろうに。
そしてオイよりも3分ほど早くラーメンを平らげて「人待たせてるんで先に行くね」と店をでる。 一人で行けよ。
晩飯の買出しでスーパーに寄り、食材をたんまり買って帰宅。 子供たちにとりあえずお惣菜をあたえておとなしくさせて、早速晩飯の準備にとりかかる。 嫁はというと、Oggiを読みふけっており、やれあのバッグがどうとかこうとか独り言を言ってる。
嫁は臨月であり、晩飯の支度には一切関わらない。 いや、臨月でなくても、晩飯の準備なんてよほどのことがないとしない。 オイにまかせっきりなのだ。 そのくせ出来上がった料理に文句をつけたりもするとんでもないヤツだ。
ネギを高速で刻みこんでいると「アレ、アレェー?」と嫁の声がした。
キッチンから除いてみると、どうやら破水したみたいとかいう。 破水。 「び、病院さ行くだがや」と、若干取り乱しながらも夕食の準備をやめて、嫁を車へ運び込む。 自宅で生みでもしたら、大変なことになる。 一刻も早く、病院に直行せねば。
お菓子を食いながら紅の豚を見ハマっている息子と娘にどうやら赤ちゃんが生まれるようなので、早く病院に行かねばならぬ。 とにかく車に乗れ! と指令を出すもシカトされたので、2人を小脇にかかえ、ムリヤリ車に押し込む。 息子は事態が若干飲み込めたらしく、おとなしく車に乗るが、娘はいつものワガママ逆ギレがはじまり、パズルをバッグに入れて持っていくという。 どうしてもパズルを持たなければ車には乗らないと、ゴネる。
こんな忙しいときにまたメンドクサイものを持っていこうと思いついたものだ。 バラバラのパズルをかき集め、娘お気に入りのトートバッグに入れる。 「ハイハイハイ、これパズルな。 さー乗れ。」
車をぶっ飛ばして病院へ急ごうとするオイに、嫁は冷めた口調で「そんなに急がなくてもイイよ。 すぐには生まれんし」という。 そうなのか? 水が破したのだろう。 なんだか緊急を要しそうではないか。 オイは子供を生んだことはことはないし、体の中で、なにかが破裂したこともない。 自分が経験したことのない現象に、ビビル。 でもまあ急いで事故ってもしょうがないし、お言葉に甘えて安全運転で産婦人科へ向かう。
病院に着いた。 「先生、赤ちゃんは、嫁は大丈夫なのでしょうか。 なんとかお願いします」とテンパりながら聞いてみると、さほどおおごとではないようだ。 「うん、大丈夫」とキッパリ言う。 子宮口がどうとかこうとかで、まだ生まれないらしい。
ベットに横たわる嫁も、別に痛いとか、苦しいとかいう様子ではないし、ひと安心か。 あ、そういや子供らに晩飯を食わせていない。 弁当でも食わせようということで、3人で弁当屋に向かう。
弁当を下げて、嫁の病室へ帰ると、嫁がいない。 子宮口がどうのこうので、陣痛が始まったとかどうとかで、分娩室にいるとのこと。 なんだよ、さっきまだ生まれないって言ったじゃないか。 ウソつき。 ということで、慌てる。
「看護婦さん、オイたちは一体何をすればイイのですか。 ここで弁当食ってていいのでしょうか?」と聞いてみる。
「え?立ち会わないの?」
と看護婦さんが言う。 イヤイヤイヤイヤ立ち会いません。 長男長女の出産の時も立ち会っていませんから、ここで立ち会えばルールを破ることになります。 今回の赤ちゃんだけ特別扱いというワケにはいかないのですよ。 なんて、妙な言い訳をする。 はっきり言って、怖い。 赤ちゃんが出てくるところや、へその緒を切れなんてハサミを渡されでもしたら一大事である。 胎盤も怖い・・・・。
冷めた横目でオイを見ながら看護婦さんは「そっかー立ち会わないんだー」とつぶやく。 立ち会わない男はダメ人間であると、顔に書いてある。
いやでも2人の子供に弁当を食わせねばなりませんので、なんて答えようとしているところで、オイ母が到着した。 子供たちに弁当を食べさせておいてあげるから、立ち会えと言う。 どうして女というものは男を立ち会わせようとするのか。
断りきれない状況に陥ってしまった。 しょうがない。 それじゃー少し、様子をみてきますよ。 分娩室の扉の向こうからは「うーん、ウー・・・・」とかいう嫁の声と「そー、イーネー。」という先生の怪しい声が聞こえてくる。 やっぱり分娩室に入るのはやめておこうかとも考えたが、せっかくだから、でもちょっとだけ覗いてから逃げようかと思いついた。 分娩室の扉を5ミリほどこっそり開けて覗く。 その光景を一言で表すならば、血だ。
たった5ミリのスキマにうごめくオイの影にいち早く気づいた嫁は「オイ、何見てんのよっ。 閉めろ、出ろー」と叫ぶ。 怖っ。 いやだから、オイは立ち会わないと言ったけれども、周囲が立ち会え立ち会えというから覗いてみただけなわけだ。 一刻も早く、子供たちのもとへ帰って一緒に弁当を食いたい。
立ち去ろうとした瞬間、先生が「オイさん、もうでてきますよー。 入ってきませんか」という。 しかしそれをさえぎるように、嫁は入ってくるな、一人で生むのだという。
看護婦さん、オイ母、先生は、生まれる瞬間を見れという。 生む本人である嫁は見るなという。 オイはできれば生まれる瞬間は見たくない。 今生まれようとしている赤ちゃんは、オイと嫁の子である。 見るか、見ないかは、当人たち次第なのだ。 周りがゴチャゴチャ言ってんじゃねえ。 見られたくないものは見られたくないし、見たくないものは見たくねぇんだ。 よって、立ち会わないことに決定。
弁当を食べている子供たちのところへ戻る。 「赤ちゃんどうだった? 生まれた?」と息子。 「うーん、もう少しだね。 弁当全部食ったら出てくるかもしれないよ」と答える。 このやりとりに反応したのが娘2歳である。 弁当を食べることをやめて、自分もママを見たいのだと言い出す。
まだ見ることはできないよと言っても、どうしても分娩室に自分も行きたいのだと、パズルのときのようにダダをこねる。 そして、大声で泣くのだ。 仕方なく、娘をだっこして、また分娩室へ向かう。 ドアを5ミリあけて、覗く。 娘は「ママ~ガンバッテー」と声をかける。 出産はすでにクライマックスを迎えており、嫁はオイと娘が見ていることも気にすることすらできない様子。 娘は、あたりが血の海状態になっているにも関わらず、臆することなく嫁に声援を送り続ける。 女として、本能的にここが一番正念場だとわかっているのかもしれない。
気が付くと、オイと娘は分娩室内に入っており、娘はオイの腕から降り、力む嫁を見上げながら、声援を送り続けている。 その横でオイは、ボー然と立ち尽くし、少しだけ見えている赤ちゃんの頭を見つめる。
そして、頭が全て露出した次の瞬間、ズボッと生まれてきた。
「ンギャー!!!」と赤ちゃんが泣く。 オイと娘は驚く。
先生は赤ちゃんを取り上げてすぐ、嫁の胸に抱かせる。 赤ちゃんは、少しジタバタしたあと、落ち着く。 ぷっくりとした、元気な男の子が生まれてきたわけだ。
急いで息子をつれて来る。 赤ちゃんと初対面した息子は「おー、でてきたか、孫悟飯~」と、自分で勝手に命名した名前で呼ぶ。
赤ちゃんが生まれる瞬間を見た感想は、血の一言に尽きる。 結局へその緒は切らなかったし、ただ見ていただけだ。 嫁は、オイと娘が入ってくるのを知っていて、また「入ってくるな!」と叫ぼうと力んだ瞬間に、スポッと生まれたのだと言う。 ということは、オイと娘が分娩室に入ってきたからスムーズに生まれたといっても決して過言ではないというわけであり、少し出産を助けたことになり得るのではなかろうか。
ともかく無事に生まれてよかった。
しばらくは、嫁は家に帰ることができないわけだから、オイ、息子、娘の3人で暮らすことになる。 病院を出る際、娘はママと別れたくなくて、ギャーギャー泣いた。 息子は、泣いてないなと思っていたら、必死で涙をこらえていた。 男である。
なーに、ものの6日もしたらママは帰ってくるさ。 それまでは仲良く3人で暮らしましょうよ。 嫁がいないからアイス食い放題だぞと伝えたら、2人ともニンマリ笑った。