どっから容器入りご飯で完食
我が家の常備品であるふくや明太子どっからに、家庭用ができた。
家庭用というのは明太子が破れていたりと外形に難があるだけで、味、品質になんら変わりはない徳用なもの。 3,150円で600gの大容量でどっからを楽しめるとなると、買わないテはない。
パッケージは4つにわかれていて保存もしやすいし、もうひとつ個人的な楽しみが味わいやすかったりもする。
その楽しみは何かというと、明太子を食べ終えあとの容器にご飯をいれてかき混ぜて、わずかに容器にこびりついている明太子の粒をご飯にまぶしつけて食べるという方法だったりする。
この食べ方は、オイの婆ちゃんが考案したもので、たとえば桃屋の『ごはんですよ』をもうすぐ一瓶食べ終えようとする頃、その瓶に適量のご飯を入れてかき混ぜる。 わずかに瓶にこびりついていたごはんですよがごはん粒にまぶされて、ごはんですよを無駄なく完全に食べ終えることができるという食べ方。 なんだかいやしく、お行儀が悪いようにも感じられるが、食べ物を余すことなく、大事に食べ終える婆ちゃんの生き様が感じられる。
子供の頃、兄弟の中で誰がその最後の『ごはんですよの瓶入れご飯』を食べるかという問題で相当モメた。 どうしても瓶の中にご飯を入れて食べたいのである。 ましてやそれがお一人様限定の食べ方だとなると、幼いながらも我先に、先に、前へ前へと気持ちが焦る。
一番上の姉は、年長者の持つ武力と権力で瓶入りご飯を手に入れようとし、一番下の弟は末っ子の魅力で大人を味方につける。 真ん中のオイは、ズルさと根性でそれらに立ち向かった。
誰が食うのかジャンケンで決めようではないかという話に必ず一度はなるものの、不正がはびこりダメになる。 今回は姉、次回はオイという風に順番に食べようではないかという話になっても、次いつごはんですよの瓶が空になるのかおよそ検討もつかないし、待てない。 ひとつの瓶を兄弟分け合って食べようではないかという話にはそもそもならない。 なので最後は奪い合いになり、運良く瓶入りごはんを手にした者には、2人の兄弟の復讐が待っているという骨肉の争いが待ち構えている。 大事にしている人形の髪をハサミでモヒカン刈りにしたり・・・・。
というように、瓶入りごはんが非常に魅力的に見えた子供時代だったわけだ。 白い炊きたてのご飯を茶碗に盛り、ご飯ですよを乗っけて食べたほうがそりゃ量も食えるし美味しいに決まっているのだが、なぜこれほどまでに瓶入りご飯ですよに魅了されてしまったのであろうかー? やはり瓶にご飯を入れて食べるという非日常的な行為にあこがれていたのであろうか。
このようにご飯に乗せて食べる系のおそうざいの容器には、最後に楽しみがあるのだ。 ごはんですよしかり明太子しかり。 どっからの1/4容器を無理して食べて空にし、そこへ熱いご飯を入れる。 混ぜるうちにご飯粒が赤く染まる。 できた! 容器入りどっから飯だ。 「ほーら息子よ。 どうだねこのご飯、おいしそうだろう?」 と誘惑してみても、まったく効果がなくシカトされた。 なのでオイが食らった。 「そもそもどっからは辛いので子供が食えるわけないでしょうがふんとにもう」と嫁。
ふくや:どっから家庭用
一口餃子の憂鬱
焼きたての一口餃子を口に放り込むと、皮がサクッとしていて、アンによく味がついていてそこから肉汁が染み出してきて、ウマイ。 ラー油をたらしたポン酢ダレなんかつけなくても十分イケル。 いや、むしろタレはつけないほうがウマイ。 しかし、横っちょに盛られた辛味噌はつけて食べたほうが酒飲みにはうれしい。
とまあ、よく行く一口餃子専門店の話なんだけど、これから深酒しなければならないであろうと予測される宴会の前に、やはり腹になにか入れておかねば悪酔いするでしょうという自身への心配りから、一口餃子一人前10個とビールを注文して、ものの数分で食いつくし店を出る。
飲む前に食べてもウマイが飲みながらでも、飲んだ後でも、老若男女だれもが大体美味しいという一口餃子である。 しかしひとつ注意しておかねばならないのは、あくまでもこれは焼きたての話であるということだ。
先日、知人の知人という団体の長崎観光案内を任命され『夜の長崎めぐり』をしていたときのこと、ベロンベロングテングテンになったそのご一行が「小腹がすいた、なにか食いたい」と言い出した。 ならばと行きつけの豚骨ラーメン屋につれていき、上質の豚骨スープを堪能させた。 しかし中にひとりウルサイのがいて「スープがあっさりしすぎている」とか「麺が少なくて固い」だとか「やっぱりチャンポンがよかった」と文句をつける。
少しカチンときながらも、オイは微妙な笑顔で「ホホホ、そうっすか? コッテリが好みなんですねー。」と流す。 どうもこのおっさん(もといおじ様)は、相当なにか食いたい様子で、ラーメンは即平らげており、皆が食い終わるまで口寂しいのか紅ショウガを手のひらに山盛りのせてガリガリと食っている。 飲み屋の代金は全てこのおじさんに払わせている手前、もうちょっとなんかこう満足させてやらねばならないような気がしたオイは、すぐちかくにある一口餃子屋に行かないかと尋ねてみる。
「ほー、餃子か。 イーネ、イーネッ。」とノリ気だったので、オイとおじさんだけ先にラーメン屋を出て餃子屋へ向かう。 そして満員の店内に入り、なんとか席につくことができたその瞬間「オエ、オーエ」と、非常に横柄な態度で店員を呼びつけ、ビールを2本注文するおっさん。 ビールをこぼしながらオイのグラスに注ぎ、一体今日何度目になるのかわからない乾杯をする。 「いやー今日はあんがとね、オイくん。 お、面白かったよ」と満足げ。
まさにタコのような風貌、色をしたおじさんに、一口餃子は一体どのくらい食べるのか? とたずねてみたところ『山盛り』という返事だったので「20人前」と注文する。 ほかの方々も食べるでしょうし。
そして餃子が焼けるまでの間、ビールをひたすらお酌していると「オ、オエッ。 ウー」とおっさんが苦しみだした。 「もうアカン、アカン」と、なぜか関西弁になっているところがウケる。 「もう帰りたいよ」と言い出す。 となりの客の迷惑にもなっているようだったので、焼いてもらっている餃子は『かぶり』にしてもらい店を出る。 そしてラーメン屋にいるその他の人々の所へ戻り、今晩はおひらきということで帰ることにした。
翌朝、妙にスッキリとして新聞を読んでいるおじさんに、昨日の成り行きを伝える。 少し恥ずかしそうに笑う。 「そういえば、昨日の餃子ありますけど。 食べますか?」と聞いてみると、是非食いたいと答える。
袋から一口餃子を取り出して、レンジでチンをして、さらに焼きなおしてみる。 できるだけ焼きたての味に近づけようと努力してみたわけだ。 そして皿に盛ってみるが、どうもしっくりとこない。 一口餃子を平皿にバラバラと入れると、非常に雑然として見た目が悪いのである。 ならば逆に、普通の餃子のように焼いた面を上にして綺麗に並べてみる。 しかしこれもしっくりとこない。
一口餃子は、やはりランダムにバラバラと盛られているほうが、絵になるような気がする。 しかも、皿に盛るとなんだか違和感がある。 やはりかぶりで持ち帰った一口餃子は、まだ温かいうちに、そのプラ製容器に入れられたままのところ、手で餃子をつまんで食べるのかウマイような気がする。
皿に綺麗に並べた餃子を前に、おじさんご一行にそのようにオイの考えを伝えながら食べてもらう。 「うん、普通においしいね。」というような、本当はあまり美味しいと思っていなさそうな返答や表情、さらに『普通に』という部分に過敏に反応したオイは、自分もひとつ餃子を食べてみてガッカリとする。 これじゃ一口餃子の美味しさはわからない。
とりあえず一口餃子をお店で食べてもらわないと気がすまないオイは、タコおやじが酔っ払う前に連れて行こうと計画中。
- ギョーザ:皮も作ってみます
抹茶プリン:白水堂
イカの黒作り@加賀百万石展
この真っ黒い物体はなんだと思いますか。
これはイカの塩辛なのだ。 イカの塩辛といえば普通のこような感じ→イカの塩辛
ビンに入っていなければ墨汁にしか見えないこれは、イカの墨入りの塩辛、人呼んで『イカの黒作り』というものである。
吉田健一著『旨いものはうまい』にこう書いてある。
烏賊の黒作りというものがあつて、これは烏賊の墨も一緒に混ぜた烏賊の塩辛であるが、義理にも綺麗などとは言へなくて、床に落ちてゐたりしたらもつと積極的に汚い感じがするに違ひない。 併し烏賊の塩辛はこれに限るので、見た目にはもつとお上品な、墨を取つてしまった普通の烏賊の塩辛はこれに遠く及ばない。
だとか。
長崎の浜屋百貨店で『老舗の味と技 加賀百万石展:1月16日(火)~22日(月)』なるものが開催されていて、そこで売られている和菓子を買いたいのだとか嫁がいうものだからついていく。 会場内をぶらぶらしていたところ、烏賊の黒作りを見つけたというわけ。
オイが購入した黒作りはホタルイカバージョンで、ホタルイカが丸ごと塩辛にされてあるというもの。 塩辛というぐらいだから、本来『辛い』はずの塩辛に、甘みがある。 これはイカスミによる甘さなのか、添加物による甘さなのかはわからんが、とにかく美味しいということだけは確かだ。
一瓶500円程度で、普通の烏賊バージョンもある。 お近くのイカ好きの方は、是非食べてみられることをオススメしたい。
新米になる
嫁がうれしそうなのは、今日から我が家のごはんは新米になるからだ。
「米なんて山盛りで、少し固めに炊いて、ワシワシ食えればそれでよいではないか」というオイとは対照的に米にこだわるのが嫁なわけだ。
米はもみがらが付いたまま購入してきて(オイ祖母からである)炊飯前にいちいち精米するのが常であり、その自家製精米機に7号の米を入れ、ガリガリと騒音を立てながら毎日精米するのである。
自家製精米機は安価なコーヒーメーカーのような姿をしており、作動させるといちいち必要以上にウルサイ。 なので精米中はテレビなんか見ていられない。 嫁が精米すると必ずオイと子供らからクレームがつくのはそのためである。 しかし、自家製精米機は、糠床の素である『糠(ぬか)』を供給してくれるものであるからして、文句ばかりいってはいられない。 自家製精米機を使用しなければ、美味しいぬか漬けを食えないというわけ。
しかし、近頃事情は少し変わってきた。 オイの息子4歳は、米を大量に消費するようになったのである。 米の減りが日に日に早くなってゆく。 息子の食う量がジリジリと増えてきているのだ。 なので、朝精米しても、また夕飯前には精米しなければならぬという状況になった。 これはさすがに面倒くさいし、騒音にも一日に二度耐えねばならぬし、ぬか床用のヌカもある程度ストックができている。 家庭での精米に限界がきたのである。
車に米一俵を積み、自動精米機に向かう。 小さなプレハブ風の建物の中に、デカい精米機が据え付けてあり、300円を入れると30キロの米を精米できるようになっている。 お金を入れ、玄米を全部投入すると、米を精米するだけにしてはやや大げさな、ファンの回転し始める音がする。 精米加減は選べるようになっているが、嫁の独断と偏見で一番白く仕上がる『上白』を選ぶ。 次の瞬間「ジャララー」と精米されたお米が排出されてくる。 米を入れてきた袋を排出口にあてがう。
一俵の米だと、精米するには5、6分かかるハズ。 しばらく椅子に腰掛けてボーっとしている。 「ガラガラ」と、精米所の戸が開き、おばさんが入ってきた。 下げ袋には米が入っている。 只今精米中のオイ米を覗き込み、無言で立ち去る。 きっと、ココの常連さんなのだろう。
いつのまにか精米所の周囲には、スズメの大群が押しかけており、精米中にこぼれた米を狙っているのは間違いなさそうだ。 無人になった精米所内の床に落ちた米をチュンチュンやるという魂胆だろう。 近所の有志が設置した様子のホウキとチリトが、床に散ったお米は掃除するよう注意書きされた立て札の横にかけてある。 となりには、汚れたお米の入ったカンが置いてある。
精米所の隅にたまっていた米を集めて、ポイッとスズメの群れに投げてみると、ものすごい勢いでスズメが集まってくる。 食べつくしてしまうと、すぐさま元の場所に戻る。 面白かったので、また精米所に散らばるお米を集めてスズメに投げる。 ワッとスズメが集まる。 繰り返すうちに、すっかり精米所の床はキレイになった。
おっと、精米中だということを忘れていた。 精米はすでに終わっており、精米機の排出口にはピカピカしたお米が山になっていた。
大村寿司の資格
長崎に「大村」という場所があり、そこの名物に「大村寿司」がある。
県内のスーパーや小店ではこの寿司が昔からよく売られており、たいへん馴染み深い食べ物なワケだが、これは買って食べるよりもむしろ「もらって」食べたほうがもっと美味しい。
(more…)コカ・コーラ:Coca-Cola | 1997年サンタボトル
年末の大掃除で押入れ奥からみつかったのもは、コカコーラだった。
見覚えがないビン入りコークだが、オイ以外のものではあるまい。 お、サンタさんがプリントされているな。 しかも年号まで書かれているとは・・・。 もしやこれって限定激レアお宝発見プレミアムということかっ?
まさかそんなわけないのであろうが、せっかく見つけたんだし、とりあえずその辺の棚にでも置いておこうか。
以前とある本で読んだのだが、1985年に「コカ・コーラ騒動」というのが起こったのだそうな。その原因はというと。
1970年代にペプシ・チャレンジといわれた比較広告がなされた。 その広告の内容は、目隠しをした消費者にペプシとコークを飲み比べてもらい、美味しいと思うほうを選択させるというものだった。 結果大半の人がペプシを選び、現にコカコーラ社内での実験でもペプシが選ばれたのだそうな。
これにガックリときた当時の会長ロベルト・ゴイズエタ氏を中心に経営陣が味の改革を決断したというわけだ。 そして出来上がった新しい味のコカコーラは、消費者に総スカンされた。 それだけではなく「妹がコークの味が変わったと泣きわめいている。 元に戻るまで泣き止まないといっている。 一体どうしてくれるんだよ! もし元に戻さないのならば、裁判所に訴えてやるぞ」というような非難が、一日に何百通の手紙や8000本の抗議の電話となってコカコーラ本社に押し寄せてきたのである。
そして「昔ながらのコカ・コーラを飲む会」が結成された。 この会は中身を勝手に替えてコーラと呼ぶのは不当表示にあたり、連邦法や、ワシントン州の消費者保護法に違反しているとして、新製品の製造指し止めを連邦地裁に提出した。
手前勝手なコカコーラ論争の勝利者は、もちろん消費者であった。 長年親しまれてきたコカ・コーラというブランドはもはや一企業のものではなく、アメリカそのものになっていた。 結果、コカコーラは新しい味を発売してからわずか3ヶ月で、製法を元に戻して以前の味に戻したのだという。
内田東著:ブランド広告より
まったく知らなかったが、以前このような事件があったというわけだ。 消費者をナメたら恐ろしいのだという話。
コカコーラの瓶、くびれも商標
アメリカの「ザ・コカ・コーラ・カンパニー」はコーラ瓶の形を商標登録申請していたが、これまで認めてもらえなかった。 しかしこの度、立体としての商標登録が認められたそうだ。
コーラ瓶の形は、当時流行していたスカートも模して作られたという逸話もあるそうな。(08/05/31追記)
メジャーに走る店
昔よく通った焼き鳥屋に顔出してみると、内装が大分かわっていた。
店の広さは同じなのだが、座席数が圧倒的に増えている。 人気店だし席増やさないと入れないしな。 そりゃー当然だ。 しかし、座席一つ一つの間隔がやけに狭い。 カウンターで飲んでいて両となりを別の客に挟まれようものならば、窮屈すぎて焼き鳥なんか食ってらんない。 砂ずりを手に取り歯でくわえ、串を横に引き抜こうとするが、うっかりすると、となりの客に裏拳をかましてしまう危険性がある。 であるからこの店のカウンターで飲むときは、一番スミの席に座らねばならないということがわかった。
座敷。 これも狭くなっている。 座敷に座るならばくつろぎたい。 すこし飲みすぎたときには手を後ろについて、天井を仰ぎたい。 しかしこの店の座敷ではそれができない。 真後ろにはすぐ、ほとんどスキマなく「ついたて」があるのだ。 掘りごたつ式の座敷に腰をおろすと、くつろぐどころかこれはまさに飛行機のエコノミークラスに乗っているような気分だ。 狭い!
店は狭いが焼き鳥は相変わらずウマイ。 ウマイからまあよしとしようか。
焼き鳥屋でいっぱい飲んだら、帰りは当然ラーメンをススって帰る。 満席でないように祈りながらフラフラしながら店の前に着くと、客はわんさか入っているが、あいにく空いてる席がある。 このラーメン屋もまた人気店である。
「チャーシューメン」と注文し、到着までしばらくビールでも飲んでボーっとしている。 周囲からは「替え玉バリカタで」とか「替え玉やや固」とか「替え玉やや柔」とかいう罵声が飛び交っている。 その「やややわ」とはなんであるか。 「替え玉やややわ」に過激に反応したオイは「やややわ」の注文主のほうを見る。 一見おとなしそうなビジネスマン風のK1武蔵似の彼がやややわの注文をした人物だ。 「やややわ」と注文して安心したのか、しきりに持参したのであろう雑誌をK1武蔵然とした態度で、K1武蔵風に読みふけっている。 やや柔らかい麺が好きなのかキミは。 「柔め」ではいけないのか。 「やや柔」と「柔」はいったいどのくらい柔さが違うのか食い比べたことがあるのかキミは。 という風に目で訴えかけていたところ、チャーシュー麺が運ばれてきた。
チャーシューメンは、普通のラーメンがチャーシュー2枚であることに対して、なんと5枚も多い計7枚のチャーシューがのっけられている。 敷き詰められているチャーシューにより、ネギはおろか麺はおろかスープさえも見えない。 一見するとチャーシューだけを丼に盛っているかのように見える。 チャーシュー一枚の厚さはおよそ3ミリ。 チャーシューは厚いに限るが、まあ3ミリもあれば満足と不満足のちょうど真ん中ぐらい。 上等でしょう。 とまあこれがこのラーメン屋の基本的なチャーシューメン。
しかし、今目の前にあるチャーシューメンはあきらかにこれとは違い、麺が見え見えである。 見え見えである上に、薄薄である。 割り箸でつまめないぐらいに薄く切ったチャーシューが7枚乗っけられているわけである。 オイは「チャーシュー麺チャーシューはやや薄で」なんて注文した覚えはないのであるがとにかく薄すぎる。 よくもまあこれだけ薄くチャーシューを切ることができたものだとそのラーメン屋夜の部スタッフ盛り付け係を見上げると同時に、この薄薄のチャーシュー7枚は、全部重ねてみてもおそらく7ミリ程度にしかならないであろうという見積もりを一瞬でたてた。
通常のチャーシューは、3ミリであるわけだから、7ミリのチャーシューでは2枚と1ミリのチャーシューしかとれないはずである。 普通のラーメンを注文するとチャーシューが2枚乗っているわけだから、今回チャーシューメンを注文したにもかかわらず2枚分プラス1ミリのチャーシューしか乗せられていないということになる。
普通のラーメンは500円であることに対し、チャーシューメンは650円である。 150円多く払ったのに、1ミリのチャーシューが一枚増えただけとはなにごとかっ! 責任者でてこい! とおもわず吠えそうにもなったが、もしかすると今日は客が多すぎてチャーシューの在庫が乏しくなったのかなとか、このスタッフはまだ新人なのでチャーシューの厚みを心得ていないのかなとか、温かい目でみることにした。 だってこの店のラーメンはおいしいのだ。 あ、あれこれ考えているうちに麺がやややわになってしまったではないか。
数日がたち、再びそのラーメン屋に向かう。 今回はお昼である。 もう何年も通っているので、いつものスタッフ3人は皆顔なじみである。 チャーシューメンを注文する。
運ばれてきたチャーシューメンは期待に反し、あの夜の薄薄チャーシューへと変貌していた。 ガッカリである。 これはお店の方針として、チャーシューの厚みを変えたに違いない。 しかしこうも極端に厚さが違うと、なんだか非常に損したような気分になる。 昔は違った。 切れ端のチャーシューや失敗作の半熟煮玉子をお土産にくれたりと、フレンドリーな雰囲気のお店であった。 しかし今はどうだ。 店舗数が増えるにつれ、チャーシューは薄くなり、スタッフの威勢のよいかけ声ではなく雑談が飛び交いニコリともせず、徹底していた麺の湯きりはおそろかになり麺の茹で汁がスープの味を汚し、麺の茹で加減も日によってバラバラ。 柔すぎたり固すぎたりする。 これでは「やや柔」や「バリ固」なんて注文する意味が無い。 「麺の固さはどうされますか?」なんて聞かれても「あなたまかせでお願いします」というよりほかにないのである。
とくに基幹店の廃れ方がヒドいので、もうこの基幹店には行かないことに決めた。 一店舗だけはまだ昔のなごりのあるお店があるので、少し遠くなるがそちらへ足を運ぶことにしよう。 だってこのお店のラーメン美味しいんだもの。
食い物屋って、メジャーに走るにつれて味がマズくなると誰かが言ってたが、これはまさに本当である。 有名に、大きくなるのは非常によいことだとは思うが、あなたのお店の今この味やサービスが大好きなのだという客がいることもどうか忘れないでほしい。
じっくりコトコトストーブ上で煮込んだおでん
「石油ストーブってよかねー、炎がよかよねー」
なんてオイ母と正月に会話をしていたところ、いかにストーブ上を有効に使うかという話に発展していた。
やはりやかんを置いて、部屋内の乾燥を防ぐべきであるという母に、イヤイヤ煮込み料理に活用しないテはないと応戦するオイ。 やかんを置いておくだけでは麦茶は作れるかもわからんが、食い物はできないでしょう。 煮込み料理は水が並々と入っているわけだから、その例の乾燥対策にも役立っているハズ。 よってストーブで暖をとると同時に煮込み料理をやるのがベストだ。 こう伝えた。
そこで年甲斐もなくムキになった母「ストーブ上で煮込み料理を作るのは言うまでも無く結構なことだが、煮こぼれした日にゃ悲惨だ。 煮込みの汁が焼けこびりついて掃除するにもどうにもならぬ。 それにストーブ上で煮込んでいると、つい自分が料理をしているということを忘れてしまう。 たとえばこうだ。 おでんをストーブ上で作っていたとしよう。 おでんならば張り切らねばならん。 朝から晩までストーブ上で煮込み続けるわけだ。 あとはほっといても夕食時になるとおいしいおでんが煮込めているというわけだがしかし、寝っころがって昼ドラを見ているときにフと、焦げたような臭いがするわけだ。 その焦げ臭をキッカケに、あ、ストーブでおでん煮込んでたんだっけということを思い出して、慌ててストーブに目を向けるが時すでに遅し。 おでんは汁気が蒸発してしまい焦げ付いて全滅なわけだ。」このような失態を幾度と無く繰り返した末に、ストーブ上では調理をしないと決めた母の言い分だ。
そんなの、あなたがボーっとしているからでしょうに。 ストーブに罪は無いわけで。 第一調理に対する熱意が足りんわけだよ母は。
このように話をして別れ、オデンが食いたくなってやはりストーブ上で煮込み始めた。 今回のおでんのポイントは、牛スジ肉を使わないで、豚バラブロックのダシをフルに活用するところである。 豚バラと、カツオダシでおでんを仕上げるわけである。 トロトロになった豚バラ肉は、箸で持ち上げようとしても崩れてしまう。 これにカラシを塗りたくって、口を器に可能な限り近づけておいて、一瞬でかぶりつく。 「ウマイッ!」となるハズだったけど、熱すぎて、口内上側を軽くヤケドしてしまった。
その他の具材もあまりキバらずに、ニンジンを入れてみたり、ブロッコリーの芯を入れてみたり、ジャガイモやエノキを入れてみたりといつもと若干変えてみた。 「10日間ブッ通し毎日ストーブ上でおでんを煮込み続けたら黒ずんでさぞ美味しかろう」なんて意気込んでいつも挑んでみるも、3日目には食い尽くしてしまうもしくは食い飽きた家族からクレームがきてしまう。
小腹がすいた。 コンニャクでビールでも飲むか。
おもわずはちきれてしまった新ジャガ
年の瀬のあわただしい中届いたドデカいダンボール箱の中にはジャガイモがぎっしりと詰められていた。 これは毎年のことであり、婆ちゃんからの、言わばお歳暮ということになる。
さっそくお礼の電話をすると、うれしそうに能書きを語りだした。
このジャガイモは男爵という品種で、6月と12月の年2回収穫されるのだという。 ときおり見える割れめの入ったジャガイモというのが実はおいしくて、デンプンを体内に沢山たくわえたパンパンでムチムチなジャガイモのみに許されるものなのだという。
掘り出す際に、となりのジャガイモとぶつかった衝撃でパックリと割れるのだ。 しかし、消費者というものは見た目を非常に気にするので、こうしたおいしいサインの入ったジャガイモは好まれないのだとか。
なーるほどねー。 オイ的にはべつに割れてたって構わんし、ましてやおいしいのならば割れたジャガイモばかりを欲しいと伝えた。 その数日後、割れたジャガイモばかりが山のように送られてきた。
いやまて婆ちゃん、うれしいことはうれしいが、そんなに沢山ジャガイモは食いきれないし、保存場所がない。 さてどうやってジャガイモを食い尽くそうかというのが今年一番の悩みであるいやまだ始まったばっかりか。
近所におすそわけをしてまわろうっと。





