たません
店はたしか「ふくちゃん」ていう名前やった。
いや、オイたちが勝手にふくちゃんて呼びよっただけで、正式な店の名前は今となっては思い出しきらん。
そん店はいわゆるお好み焼屋で、なんで「ふくちゃん」て呼ぶごとなったかていうと、当時同級生におったふくちゃんに店主の顔のそっくりやったけんさね。 ヘルメットばかぶったごたる髪型で、ヒゲのものすご濃かった。
ふくちゃんの店主は年中同じエプロンばしとってから、服もいつも同じやったごたる。 昼間から焼酎かなんかアルコールば飲みよったとさねえ。
ふくちゃんの名物は100円お好み焼きで、これが近所の子供たちに大人気やったとさ。 たいした具は入っとらんとばってんがさ、その100円ていう値段の安さが魅力やったとさ。
先日ふくちゃんのあった場所を通ると駐車場になっていた。 あのおじさん、今頃どうしているのだろうか。
上の画像は何を作っているのかというと、たませんである。 たませんを作っていて、小学生の頃に通ったふくちゃんを思い出したのだ。
「たません?」という方にご説明しよう。 たませんとは、名古屋のコナモノで、駄菓子屋とかで売ってる丸いエビセンベイやタコセンベイでとんぺい焼きみたいなのをはさんだものだ。
野瀬泰申さんの「天ぷらにソースをかけますか?」にあった。 かつて名古屋の駄菓子屋さんには必ずといってよいほど存在した食べ物で、現在でも一部のお好み焼き、たこ焼き屋ではメニューに組み込まれているそうだ。
作り方は次の通り。
たませんの作り方
- 鉄板の上に卵を割り落とし、あえて黄身をつぶす。
- 卵の上にタコせんべいをかぶせるか、せんべいの上に卵をのせる。
- 鉄板からおろし、ソース、マヨネーズをかける。
- 何か具があれば卵の上にのせる。
- たませんを半分に折りたたんで完成。 店によってはこれをアルミホイルに包んでくれる。
と、ある。
現物を実際見たことも口にしたこともないのでよくわからんが、完成したのはこれ↓
アツアツにかぶりついてみると、パリパリだったせんべいがクシュリとしていてマヨソースに合う。 ネギを具にしたがそれとも合う。 そういえば昔駄菓子屋に「お好み焼きせんべい」というお菓子があって、たしかそれにはソースの小袋がついていた。 子供ながらに「せんべいにソースって・・・」と思っていたが、食べる時は必ずたらしたものだ。
たませんは瞬く間に胃の中へ。 子供にもウケがよかった。 ビールにもよく合った。 本物のたませんを是非食べてみたい。
大失態
カラスミを作ろうと当てにしていたボラの真子が手に入らなくて残念でならない。 他の魚の真子で作るというテもあるが、それらの真子にすら縁がなかった。
そこでおもいきって正月用にカラスミを買ってしまった。 正月ぐらい贅沢せんといかん。
と、いうように、毎年、正月用にと、師走になると色んな食材をせっせと買いこむが、結局、晩酌しているうちに、買いだめしたそれらのことが頭からはなれず、ちょびっとだけ、ちょっとぐらい味見してもよかろう、で食った、やはり美味、こりゃ正月が楽しみだ、大事にしまっておこう、でもあとちょっとだけ味見、旨!またちょっと、ちょっと、がぶり、むしゃむしゃ、グビグビ、ああ、全部食っちゃった・・・というようになってしまうのだ大体。
正月用のカラスミを開封し、正月用の大吟醸を開け、カラスミ用のまな板を取り出し、スライスしながらチビチビやったらもう幸せというかなんていうか・・・これもひとつの正月なのだ。 正月には片腹だけ残しておけば十分だろう。
娘がツカツカ歩いてきたので酒のせいで気持ちが大きくなってしまったオイは自分が食べる際の倍の厚みにからすみを切り、差し出した。 イクラも大好きチーズも大好き生ハムも大好きな将来酒飲み必至の娘はそれを自動改札から飛び出した切符をチャクリと取るように自然な動作で受け取り、かじりながら絵本棚へ向かった。
「このからすみ、おいしかねー!」という声が聞こえてくる。 あたりまえだ上等なのだ。 しばしカラスミで至福の時を味わう。
「ねー、まだー」と息子の声。
いかんいかん、大事なことを忘れていた。 今日は9時から「ふたご座流星群」を観察する約束をしてたんだった。 もう一枚だけからすみをかじり、酒を空け、包丁をしまい、モンクレーを着込んでマグライト片手にベランダへ躍り出る。
見上げると星がテラテラしている。 流星でなくとも美しい。 今日は天気もよかったし、間違いなく流星を見ることができるだろう。 運がよければ1時間に50個ぐらい見ることができるかもしれないという話。
長男、次男と並び体育座りして夜空を見上げること15分。 ひとつめの流星を見てしまった。 流星ってこんなに長く光るものだったっけ。 素晴らしいなあ、こんなんタダで見ることができるんだ地球って。
その後約1時間、しまいには3人川の字に寝転んで流星群を楽しんだ。
さあ、明日も早いしもう寝よう。
急いで寝る支度をさせる。 娘たちはもう寝てしまっているようだ。 オイも昆布を水にほうりこんでから寝るとしよう。
とキッチンに向かう途中で思わず目をそむけたくなるような光景を見てしまったのだ。 からすみが・・・。 流星を見すぎて目がおかしくなったのではなかろうかとはじめ思った。
からすみが激減している。 しかもこれはかじりとった後のようだ。 この歯形からすると犯人は相当強いアゴを持ちかつコンパクトな口をしているハズ。 前歯でかじったのではなく、犬歯で横からむしりとったものと思われる。 それは周囲を警戒しながらカラスミをかじったからに他ならない。 犯行時間は席をはずしていたここ1時間ばかり。 少しずつ、一枚一枚紙のように切り分けてから堪能していた大事なカラスミを一体誰が・・・。 以前手作り唐墨を干している最中猫にさらわれたことがあったがあいにく室内だ。 うちにネズミ他小動物はいない。 犯人は・・・。
犯人は娘に間違いない。
流星群を見ようとあわて、包丁をしまったまではよかったのだが大事なからすみをまな板の上に置き去りにしてしまった。 見終わってからもう少しつまもうという魂胆がオイの中にあったのかもしれない。 無防備なカラスミを見逃さなかった娘はオイが帰ってくるのを警戒しながら気の向くままに思いっきりカラスミをかじったのだろう。
すぐに寝室に向かい娘の口元を見る。 何の形跡もない。 歯をみがいて証拠を消したのだろう。
年末にして今年最大級の失敗をやらかしてしまったのだった。
今朝カミさんに聞いてみると、本件にはまったく気づかなかったとのこと。 あ、そういえば娘やけにウロウロしていたな今思えば、という新証言がでた。 ウロウロしながらスキを見て豪快にからすみをかじり取ったのか娘よ。
自分からは聞けないから今度サンタに聞いてもらおう。
年越しラーメンの試作
年末は皆であつまり飲んで、シメに年越しラーメンをススル、というのが恒例となっている。
今年は醤油ラーメンを作ろうと計画していて、その試作版を作ってみた。
麺は手打ちの卵麺、スープは鶏がら、豚骨、和風だしをあわせたもの。 各ダシは大量に作り、冷凍した。
香味油はネギ油を使ってみたが物足りない。 自家製ラードで海老油を作ってみようかなあと検討中。 ラードの揚げカストッピングは不要。
あえてチャーシューは豚肩を使ってみた。 これは合う。 九条ネギを散らして・・・海苔があるとありがたい。 あとは半熟煮卵を用意しないと苦情がくるだろう。
麺が少し柔らかすぎたのでも少し早めに上げんといかん。 醤油だれは濃口薄口醤油を半々で割り、昆布をひたしておいたものを使ってみた。 悪くはないが・・・もしかすると辛めの煮きり醤油がイケるのかもしれん。
と考えこみながら今日もまた日が暮れる。
太揚げ麺
自家製麺作りが楽しくてしょうがない。 加水率や小麦粉選びはもう迷宮、色んなことを試してみたくなる。
麺打ちにもなれてきて、作業効率もアップ。 キッチンに粉をまき散らしカミさんに注意されることもなくなった。
どうしても麺のクズが出てしまうが、これは縮れ麺に加工したほうが能率的だという実験結果もでてきた。
昨日はフと、麺のクズを揚げてみることを思いついた。 もしかしたら皿うどんのパリパリ麺になるかもしれんそうなりゃ、儲けモンである。 中華鍋にラードをたっぷりと張り火にかける・・・緊張の一瞬、クズ麺を投入。
すぐさまモワッと麺が膨らむことは予想通りだったが、やけに太麺になったものだ。 軽く色がついたところで麺を上げ、油を切る。
かじってみると、確かに皿うどんの揚げ麺の味がする。 でもやっぱり太すぎだこれは。 噛むと口の中がウルサすぎる。 皿うどん麺のように仕上げるには、相当細い麺を打たねばならないということだろう。 でもパスタマシンにそんなに細い替え刃があるのだろうか?
豚肉とキャベツの切れ端を炒め、トロミをつけて太揚げ麺にかけて食べた。 ウマいこたウマい。
白里芋
野菜屋ですごい小さい里芋を発見。 一個が巨峰ぐらいの大きさで、何十個か入って一袋100円だった。 あまりの安さにつられて買ってしまう。
イカと煮たり、ともあえにしようとも考えたが、昆布だしで淡く煮ることにした。
里芋の入った袋を開けようとしたところで気づいた事は、この里芋が白里芋だということだった。 袋にそう書いてある。 白里芋なんていままで聞いたこともないし、ただの小ぶりな里芋が実は白里芋だったということだが、べつにどうだってよい。 どうみても小さいサトイモだ。
皮をむくときになり事の重大さに気づいた。 何十個もの小さいサトイモをチマチマとむいてしまわなければならないのだ。 およそ半数ぐらい皮をむいたところで飽きてしまったのだが投げ出すわけにはいかない。 こうなりゃもう意地だ。
むき終えたサトイモはさらに小さくなった。 柔らかく煮て大皿に盛り、食卓へのせておいた。 小さいからつまみやすいせいもあり、みるみるうちに少なくなってゆく。 たぶん2、3日は食べることができる分量だと考えていたのに、その日のうちに全部なくなってしまった。
小さいと子供ウケもよい。
み、短かなってる
小ぶりで細長いフランスパンを縦に割り、間にツナマヨが山ほど入っている某所のパンがお気に入りだった。 度々カミさんが買ってくるのでついファンになってしまったのだ。
2年ほど前「お値段据え置き」のままツナマヨが若干少なくなっていることに気づいた。 もともと多すぎると感じていたのでちょうどよくなった。
一年ほど前には「お値段据え置き」のままフランスパンが若干短くなった。 開封前からそれに気づいてしまうほど短くなっている。 「このご時世」という言葉をよく耳にするようになった頃なのでまあ諸事情あるのだろう。
そして先日、またカミさんがツナマヨパンを買ってきたのでかぶりつこうと袋から取り出すと・・・また短くなっている・・・・・・もちろんお値段据え置きのまま。
「このご時世ですから・・・」という言葉をかなり耳にする昨今、しょうがないっちゃあ、しょうがない。 でも当初の頃から比べると、おそらく4割は短くなっていると思われる。 しょうがないっちゃあ、しょうがない。
カボス
別府に住む知人からカボスが届いた。 普段見慣れているカボスよりも大きく、なんかみかんっぽい印象。
サンマにどっさり絞り込んでみるとやはり果汁もみかんっぽい感じがした。 やさしい酸味であり、体中が洗われるような爽快さもあった。
大事に使わせていただきます。
〆さんまを押し寿司に
魚屋で「キズもの」のサンマが盛りで売られていた。
目がきれいで口先は黄色く、カラダは輝いていた。 まぎれもなく鮮度のよいサンマだ。
パッと見、どのへんがキズものなのか、わからない。 よくみると、皮や腹が少し破れている程度。 食べる分にはまったく問題がない。 だのに激安とくれば買わずにはいられない。 一山買って帰る。
炭火で塩焼きにすると脂がしたたり落ちてジュウジュウいう。 たまらん香りもする。 カボスを絞り込んで腹からかぶりついた。
日本酒を呑みながら刺身でつまんだ。 明日の朝食用に甘辛く煮付けた。
それでもまだ、さんまは山ほど残っている。
食べきれそうにもないので、シメサバならぬシメサンマを作ることにした。 三枚におろし、中骨はつけたままでも問題はないと思ったが、子供たちも食べるのでやはり取り除くとこにした。
脂の乗った魚はどう食べても美味しい。 〆サンマは素晴らしかった。 あまりにも大量に作ってしまったので、近所におすそ分けをした。 それでもまだ消費しきれなかったので押し寿司にした。
スシメシが上手に炊けたこともあり、さんまの押し寿司も大成功だった。 子供たちは手づかみでワシワシ食べている。 オイは切り分けた押し寿司を炙ってつまんだ。 どうやっても旨いものは旨いもんだ。
カチョカバロ
「ほら!これさこれ。」
カミさんはてるてる坊主風の物体を袋から取り出した。
オイ:「何これ?」
カミ:「チーズさチーズー」
へーえ、こんな奇抜な姿をしたチーズってあったっけ、ていうかその奇をてらうところがなんかムカツク。 要は味だよ味。
カミ:「ちゃうちゃう、そうじゃなくてカチョカバロはそもそもこんな形のものなのさ」
オイ:「何?チュパカブラ?」
カミ:「カチョカバロて!」
カチョカバロというチーズらしい。 付属のチラシによるとカチョカバロ(Caciocavallo)とは、イタリア語で「馬上のチーズ」という意味で、馬の鞍の両側に吊るして作ることからこんな形のチーズになったのだとか。
何日か前、タレントがテレビでカチョ(以下略)の話をしていて、どうしても気になったので買ってきたのだとか。
とりあえず今は息子と餃子を焼いている最中なので、明日にでも食べてみようかというと、どうしても今すぐ味見したいのだという。 いつも毒見のような事をさせられる。
雪ダルマのような姿をしている。 封を開ける前は、くびれの部分に紐がグルグル巻きにされていた。 「ほう、これが馬の両側にねえ」紐をつまんで持ち上げると、カチョはうなだれるようにうつむいてブラーン、ブラーンとなんか嫌な場面に遭遇してしまったかのような気にさせる雰囲気を醸し出した。
紐をといて、座りがよさそうだったのでテーブルの上に置いてみた。 カチョはうつむきながら考え込んでいるように見える。 なんだか暗い空気がカチョ周辺に漂っている気がする。
オイ:「カチョ、何ヘコんでんだよ!」と丸い頭を平手でパシリとやったら息子がウケたので、パシパシやってると「早く食え!」とカミがせかす。
いきなり頭から、まるでサトウの切りもちのような表面にかぶりついた。
シャクリと、妙なかまぼこにかぶりついたかような食感がしてちぎれた。 よくかみながら味わうと、これはどこか覚えのある味だということがわかった。 なんだったかな、あ、ピザのときのあのーほら、何チーズだっけ、あの白くてスベスベで浮かんでいるホラ、何あれ・・・・・・モッツァレラ!
「そう!モッツァレッラよ!」とカミは自慢げに言う。 なにやらカチョカバロはモッツァレッラと関係ありげでどうのこうのという説明をし始めたが、意味がよくわからなかったので聞き流した。
「ふーんカチョカバロって、へぇーこんな味なんだ、ふーん」という感想以外思い浮かばない。 美味しいとか、どうとかいうチーズではないと思う個人的には。 これよか、嫌いな人の多い山羊の臭いチーズのほうがよほど旨いし口に合う。
アンパンマンばりに顔をかじられたにも関わらずたいした評価もされなかったカチョには悲壮感があふれていた。 おもわずゴメンといってしまいたくなるぐらい重たい空気。 せっかく餃子で盛り上がっていたのにカチョがきたせいで・・・こんな事ならば出会いたくなかったカチョとは。
カミ:「そういえば、切って焼いて食べてって言ってた」
早く言っていただきたい。 生でかぶりついてしまったじゃないか。 ちょうど餃子を鉄板で焼いている最中なので都合がよい。 「カミさん、カチョを全部輪切りにして持ってきて!」
輪切りで皿に並べられたカチョに面影はない。 だけど食品らしくなった。
カチョを一枚つまみ、鉄板の上に置くとすぐに溶け出した。 そうか、こいつモッツァレッラぽかったからなあ。 あわてて皿にとり、ドロドロのところをつまんでみると・・・旨い旨い。
「この塩気、どこに隠し持ってたの?」とカチョに詰め寄りたいぐらいちょうどよい塩気、これぞチーズだ、という旨味にあふれている。
餃子はとりあえず置いといて、カチョ焼き大会になってしまった。 「おーいカミさん、カチョもうひとついたよね、あれも切ってきてよ!」
何度か焼くうちにコツをつかんだ。 カチョを鉄板に置いて溶け出してもしばらくほっといて、それから裏がえす。 すると見事な、いかにも美味しそうなキツネ色に焼きあがったカチョの姿を拝むことができる。 両面こんがりと焼いて食べるともう幸せ。 こりゃもう、カチョカバロしかないなという感じ。
こりゃ絶対ナス焼きチーズにすると旨いだろうな、と気づいてしまったので、すぐさまナスを切ってきてもらう。 ナスを両面こんがりと焼いてから、上にドロドロのカチョカバロを乗せて食べる。 やっぱりね!旨い! カチョカバロを食べるならばナス焼きチーズに限ると言ってよい。
カチョカバロは焼いて食べると旨い。
※もしも今晩の献立が餃子でなかったら、カチョの可能性に気づかなかったハズ。 そう考えると餃子もまた偉かった。 もしかすると自家製チーズを焼いて食べても旨いもかもしれんとワクワクしている真っ最中。
合鴨のロースト
古い雑誌の切り抜きに合鴨のローストが載っていて、美味しそうだから作ってみた。
合鴨に塩、胡椒をふってこんがりと焼き上げ、わさび漬けとマヨネーズを和えたソースで食べる。
たしかに旨い。 旨いがしかし、合鴨鍋のほうがやはり好みだ。 酸味のあるタレでさっぱりと食べたい合鴨は。 今日は合鴨鍋で一杯やろう。
※鴨の手羽に塩を振り、ショウガの薄切りとともにカシワの葉で巻いて濡れ紙で包み、燃やし火にもぐらせ蒸し焼きにする、という調理法が『あまカラ』にあった。 執筆者は北畠八穂さん。