どっから容器入りご飯で完食

我が家の常備品であるふくや明太子どっからに、家庭用ができた。
家庭用というのは明太子が破れていたりと外形に難があるだけで、味、品質になんら変わりはない徳用なもの。 3,150円で600gの大容量でどっからを楽しめるとなると、買わないテはない。

パッケージは4つにわかれていて保存もしやすいし、もうひとつ個人的な楽しみが味わいやすかったりもする。
その楽しみは何かというと、明太子を食べ終えあとの容器にご飯をいれてかき混ぜて、わずかに容器にこびりついている明太子の粒をご飯にまぶしつけて食べるという方法だったりする。
この食べ方は、オイの婆ちゃんが考案したもので、たとえば桃屋の『ごはんですよ』をもうすぐ一瓶食べ終えようとする頃、その瓶に適量のご飯を入れてかき混ぜる。 わずかに瓶にこびりついていたごはんですよがごはん粒にまぶされて、ごはんですよを無駄なく完全に食べ終えることができるという食べ方。 なんだかいやしく、お行儀が悪いようにも感じられるが、食べ物を余すことなく、大事に食べ終える婆ちゃんの生き様が感じられる。
子供の頃、兄弟の中で誰がその最後の『ごはんですよの瓶入れご飯』を食べるかという問題で相当モメた。 どうしても瓶の中にご飯を入れて食べたいのである。 ましてやそれがお一人様限定の食べ方だとなると、幼いながらも我先に、先に、前へ前へと気持ちが焦る。
一番上の姉は、年長者の持つ武力と権力で瓶入りご飯を手に入れようとし、一番下の弟は末っ子の魅力で大人を味方につける。 真ん中のオイは、ズルさと根性でそれらに立ち向かった。
誰が食うのかジャンケンで決めようではないかという話に必ず一度はなるものの、不正がはびこりダメになる。 今回は姉、次回はオイという風に順番に食べようではないかという話になっても、次いつごはんですよの瓶が空になるのかおよそ検討もつかないし、待てない。 ひとつの瓶を兄弟分け合って食べようではないかという話にはそもそもならない。 なので最後は奪い合いになり、運良く瓶入りごはんを手にした者には、2人の兄弟の復讐が待っているという骨肉の争いが待ち構えている。 大事にしている人形の髪をハサミでモヒカン刈りにしたり・・・・。
というように、瓶入りごはんが非常に魅力的に見えた子供時代だったわけだ。 白い炊きたてのご飯を茶碗に盛り、ご飯ですよを乗っけて食べたほうがそりゃ量も食えるし美味しいに決まっているのだが、なぜこれほどまでに瓶入りご飯ですよに魅了されてしまったのであろうかー? やはり瓶にご飯を入れて食べるという非日常的な行為にあこがれていたのであろうか。
このようにご飯に乗せて食べる系のおそうざいの容器には、最後に楽しみがあるのだ。 ごはんですよしかり明太子しかり。 どっからの1/4容器を無理して食べて空にし、そこへ熱いご飯を入れる。 混ぜるうちにご飯粒が赤く染まる。 できた! 容器入りどっから飯だ。 「ほーら息子よ。 どうだねこのご飯、おいしそうだろう?」 と誘惑してみても、まったく効果がなくシカトされた。 なのでオイが食らった。 「そもそもどっからは辛いので子供が食えるわけないでしょうがふんとにもう」と嫁。
ふくや:どっから家庭用