樽
元々は酒屋で、居酒屋になって数十年。 各地の日本酒をズラリ取り揃え、毎日常連客で賑わっている。
こんな情報を仕入れ、その日の夕方店探しに出かけた。 そしたらなんと、たまに行くホルモン屋の並びにある店だった。 飾り気のない看板に小さな店構え、外から店内がよく見えないこともあり、これまで見過ごしていたのだ。
戸を少し開けるとガヤガヤと客の声がする。 ちょうど大将と目が合ったので「ひとりですけど入れますか?ていうか満員ですね」と伝えると「あちらがひとつ空いていますよ」と、L字型のカウンターの端を指して言う。 ツイてる。
少し狭いがこれも味のうち、いやあ、それにしても年季の入った店だなあ。 木製の角が丸まったカウンター、やけに低い天井、昭和の匂いがプンプン漂う和風木造建築で、照明ひとつとっても、いまどきこんな型をしたものは売られていない。
壁面はびっしりと小さな酒樽、一升瓶で埋め尽くされており、店の奥には某銘柄の名が刻まれた、とても古そうで重厚な看板が掲げられている。
客の7割は50代以上のおじさんである。 日本酒飲む雰囲気としては申し分ない。
「はいサービス」と、きゅうりの酢の物が小鉢に出てきた。 「メニューはこれね」と差し出されたハガキ大の使い古された紙きれには、表に酒のサカナが、裏には日本酒の銘柄一覧が記されている。 印象的なのは、メニューの、いや店内の、どこを見回しても金額表示がないことだ。
酒が一杯いくらなのか、サカナが一品いくらなのかは不明である。 しかし、店内の雰囲気からしてそんなに高いわけがない。 せいせいした。 とにかく好きなだけ飲んでみるとしよう。
楽しそうに会話をしている隣の客が何をつまんでいるのかをチラリと見る。 シメサバにタタミイワシ、焼き揚げか・・・。 同じものと、さらに数品、そしてぬる燗を注文した。
時折客が、お手洗いに行くために背後を通るが、人一人通るのでせいいっぱいぐらいの通路の幅しかなく、たまにコツンとぶつかってしまう。
酒も肴も、いちいち説明する必要のないほど旨い。
となりの客が、帰るようだ。 帰ってから判明したことだが、てっきり二人連れだと思っていた客は、オイ同様、ひとり飲みだったのだ。 やけに親しそうに会話をしていたのは、常連同士の顔なじみだったのだろう。 そうすると、あそこも、あのテーブルも、もしかするとひとり飲みだけど顔なじみ状態なのかもしれない。
しばらくして、空いた隣に新しい客が入ってきた。 一人の青年だった。 慣れた様子で座るやいなや「大将、樽酒とシメサバ」と注文し、マルボロをふかした。
カウンターも狭いので、肴の皿をひとつにまとめてスペースを作った。 椅子を少し右にずらす。
青年は一杯、又一杯と、同じ樽酒を注文し、勢いよく飲み干している。 そういえば、まだ樽酒を飲んでいなかったので、マネして注文してみよう。
カウンターの中からはみ出んばかりに据えられた4斗樽の底のほうにある木の栓を抜いて、枡に酒を注ぐ。 そしてそれを、コップに移しかえて出される。 一口飲めばもう、樽酒の虜。 よく目にする銘柄の樽酒だが、あきらかに瓶入りのと風味が違う。 めざしと共に、吉野杉の香りが漂う樽酒をじっくり味わうことにした。
「この樽酒、美味しいでしょ」顔の赤らんだ青年が話しかけてきた。 「はい、これはすごいですね」と答える。 その後彼と意気投合し、酒の話、肴の話、この店の話、常連客はほとんど顔なじみだという話を教えてもらう。
二人して延々と樽酒を飲んでいたところ、大将が「もうすぐ樽酒はカラになるよ」と教えてくれた。 もちろん二人で一樽が空になるほど飲んだのではない。 いつも大体1週間程度で空になるので、その都度蔵元から樽を送ってもらっているのだという話。 かつて名古屋の名店「大甚」に行った時、出される賀茂鶴の樽酒の旨さにシビレタことがあったが、それに匹敵する感動がある。
「樽酒って素晴らしいですね。」と大将に言うと「ハハハ、そうだねえ」という返事。 11時には閉店だから、ぼちぼち客はまばらになり、大将と会話する機会が生まれた。 そして話し込むうちに、というかどういう流れでそうなったのかを覚えていないが、空いた酒樽はどのように処理されるのか、という話題になっていた。
「そういえば一度、欲しいっていうお客さんがいたからあげたことがあったなあ」と大将。
「えぇ、なんとも羨ましい話!」その話に目を輝かせていたらなんと!「もしよろしければお持ちになりますか?」と大将。
「マジですか!是非お願いします。 あ、でもこれ持ち帰るとなるとかなり大変ですねえ・・・うーん」と悩んでいたら「樽に伝票貼り付けて送るということもできますよ」と大将。
送ってもらわないわけがない。 送料着払いで、樽を送ってもらう約束をした。
何日か過ぎ、本当に樽が届いた時には驚いた。 もっと驚いたのはカミさんだった。 「なぜ家に樽ガッ!!」 そして「で、何するのこの樽で?」と鋭いツッコミをくらう。
そーなんですよね、樽酒が旨くて旨くて、つい「欲しい!」と思ってしまった樽なんだけど「これ、どこに置けばいいんだよ」という話になる。 そして置き場所を見つけたにしろ「一体何に使うの?」と冷静に考えればなってしまうのだ。
カミさんは少しも理解を示さない。 それは当たり前だと思う。 でもオイは、こうして我が家に届けられた酒樽には大将のご好意や味の思い出が込められていて、酒樽眺めながら飲むだけで幸せな気分になれると思うのだ。
でもキッチン周辺に置く場所は無い。 リビングに置けば邪魔だと言われたり、息子が太鼓にしたり、転がしたりして危険。
樽は今現在、書斎に安置している。 眺めているうちに、いくつかの活用案が浮かんだ。
- 樽をお気に入りの酒で満たし、毎日自宅で樽酒を飲む。 でも4斗樽ということは72リットルだし、それを満たすには1升の酒40本が必要になる・・・勇気がいる。
- 自家製味噌を樽一杯に仕込む。
- 自家製タバスコを樽仕込みする。
- 大量に白菜の古漬けをこしらえる。
- エタリの塩辛を漬け込む。
もうしばらく考えてみないと答えがでない。
樽酒の話をひとつご紹介。
樽酒に馴れると、瓶詰は味が落ちるように思われてきた。 樽のほうが味が濃いように思った。 特に、樽の中身がだんだん減っていって、最後の一杯というあたりになると、ドロドロとしてきて、非常に濃厚で、うまいと思った。 早く減ってくれればいいと思ったりした。
最後のほうの一杯もうまいけれど、樽の栓を抜いたばかりの最初の一杯もうまい。 これは、酒にかぎらず、ウイスキーでもビールでも何でもそうである。 最初の一杯がうまいし、もうこれでおしまいだという時の一杯がうまい。
特に樽酒はそうであって、早く減ってくれればいいと思っていても、いざ別れるとなると辛い思いをする。
山口 瞳『酒呑みの自己弁護』より
作家でエッセイストの山口さんによる分厚いエッセイ。
東京の人が大事にしないといけない店として、銀座のボルドーを挙げている。
好きな酒場として、銀座のクール、新宿のいないいないばあを挙げている。 銀座の小料理屋「はち巻岡田」、 東横線自由が丘駅付近「金田」にも是非行ってみたい。
こんにちは。ヒョンな事から「美味かもん雑記帳」に辿り着きました。私と同じに「樽酒」の味にとらわれた方がおられたんですね~。現在ホテルやら酒造会社に私の「実用新案」を売り込んであるのですが、消費者は「オンリーワン」を求めているのに応えていません。一度覗いてください。宜しければ「樽(風味)酒の素」をお送りします。
いつでも樽酒の風味を味わうことができるので、「樽酒の口」はかなり重宝しております。 それにしても樽酒は旨いものです。