ツリーとかラーメンとか
友人は最近家を建てたし、子供も生まれたし、酒も旨いしでいいことずくめらしい。 せっかくの忘年会なのに、自分の話ばかりしてやがる。
自慢の新居にはクリスマスが近いからと、電飾を方々に巻きつけて飾り立てているらしく「おたくのイルミネーションはすばらしいですね」と近所で評判なのだとか(後日実物を拝見したが趣味の悪いデコトラ、もしくはパチンコ屋のようにけたたましく煌いていたそのうちジングルベールとかいうお決まりのメロディを周囲の迷惑も考えずに勝手に垂れ流し始めるにちがいない、いやそうに違いないと確信した)。
とにかく今年電飾デビューを果たした彼は、もっぱら付近にある、やはりイルミネーションに力を入れているお宅のことが気になって仕方がないのである。 この時期になると電飾を頑張っておられるお宅を数多く見受ける。 電飾デビュー氏は夜、車に乗ってる最中も、よそのお宅のイルミネーションが気になって仕方がなくて運転に集中できないらしく、やれあの家の電飾はまだまだビギナーだとか、センスが感じられないだとか、あそこの家はサンタがまさに今、家に無断で進入しようとしている瞬間を等身大の人形を使い上手に表現している。 よし、これは来年、いや今年からでも遅くない、是非我が家にも取り入れようとか「まけた~、この家には完敗。 第一家の規模が違うし、イルミネーションも上手い。 あの星型の電飾なんておそらく自作だろうが大したものだ。 是非お近づきになりたい」とかぬかす。 彼以外、誰も、そのことに、興味はないのだ。
しかしオイ家には3人の子供がおり、毎年サンタさんがいらしてくれているわけだから、ほんのちょっとクリスマス臭を漂わせておかなければ失礼だというもの。 玄関入ってすぐのところに、クリスマスツリーを設置している。 このクリスマスツリーのことがオイは大嫌いで、その安っぽさとかチカチカ明滅する電球のことがどうしてもガマンならず、どうせツリーを飾らなければならないのならばいっそのこと、モミの木を一本切り倒してきて、それを飾り立てたいくらいだ。 いや、それならばどうせ毎年必要になるものだし、庭に立派なモミの木を一本植えておけばよいのではないか、と常々考えているのだがならず。
このような電飾ネタでこの忘年会は終わった。
シメはやはりラーメンであり、今日はどこに行こうかなとしばらく考える。 いつも同じところばかりではアレなので、それぞれ意見を出し合ってもらう。 でも大体皆の意見は一致することになる。 美味いラーメン食わせてくれる店ってなかなかないのだ。 でもたまにはあえてマズい、もしくはそれほどでもないラーメンというのもススッテみるべきである。 これもいわゆるひとつの舌の勉強であると半ば強引な展開にもっていく。
そのとある一軒の「そうでもないお店」に初めて行ったのは、かれこれ2、3年前になるであろうか。 「シメに最適なアッサリスープの美味しいラーメン」という説明のもと連れて行かれたハズなのに、マズいなんて代物ではなかった。 食品としての評価はもはや不可能である。 商売云々は抜きにして、こんなラーメンを他人に平気で食べさせることができる人物とは話をしたくない。 人として合わないムリ。 という店だ。 トンコツとか醤油とかナントカ、ジャンルはすでに超越していると思われる。 この店に、突然、無性に行ってみたくなったのだ。 最上のマズーを体験してみたいのだ! 怖いもの見たさなのである! 酒の勢いであることは間違いないのだが。
オイ以外の人間もそこはマズいと知っている。 でもなかなかつぶれないところを考えると、以前はたまたま調子悪かっただけなのかもしれない。 いつもはもっと立派なラーメンを作っておられるのかもしれない。 そういう期待は一切せずに、そのラーメン屋へ向かう。 以前のように、ダルそうな2人がオイたちを出迎える。 今回はシメというか、ひとつのテストなので、皆普通のラーメンを一斉に注文し、様子をみる。
次々に客が入ってきて、満席になる。 厨房内との会話を横で聞いている限り、常連であることは間違いないようだ。 「いつもの」と注文している。
非常に狭い厨房内で男がラーメンを作っている。 オイたちの前に3人の客が入っており、3つのどんぶりをカウンターの上に置き、まずはスープを注いでいる。 次にとなりの男が麺を茹でて、それぞれのどんぶりに茹で上がった麺をあげていくわけだが、まずその作業がスムーズではないところが目に付いて、非常に不安になる。 素人といっても過言ではないその手つきを前に我々は意気消沈する。 やはりこの店に入ったのが間違いだったのだ。
危なげに3つのドンブリに麺を入れ終えた男。 以外や以外、水切りだけは平ザルを用いてしっかり丁寧に行っていたのが印象的だ。 さあ、あとはドンブリの中の麺を2、3回いなしてからネギでも散らし、客に出すだけであろう。 が、その3つのドンブリを客に差し出さない。 いまだ大鍋の中に平ザルを突っ込んで残りの麺がないのかをたしかめている最中である。 それがまた沢山残っているものだから、次々にごく少量の麺が平ザルについてくるわけで……それをご丁寧にそれぞれのドンブリにチョットづつ入れていくわけ。 しかもこの際は水切りをしっかり行わないのでどっちかっていうと、くず麺の量よりもしたたるお湯の分量のほうが丼に入るのは多いくらいだ。 もはやけしからんというレベルではない。
このようなラーメン作りを目の前で見せ付けられてもはや食欲もなくなり、呆然としていたところに我等のラーメンが到着。 湯気はたっていない。 麺は若干太めのストレート。 無論、のびのびである。 スープを一口ススル。 うーん、うーん、やっぱりマズい。 はっきりと言わしてもらおう。 激マズだこれは。 腹が立つほどマズい。 オイはラーメンが好きで一応自作もする。 経験上、このラーメンの作り方ははっきりとわかる。 お教えしよう。
まずはドンブリに湯を張り、麺をノビノビに茹でて投入。 そこへ安い醤油を少なめにまわしかけてうえからネギを散らし、胡椒をふりかけるとできあがり。 化学調味料を入れたいところだが、それすらケチってごく微量投入スル…。 これで間違いなくこのラーメンを再現できる。 実際にオイが試した本当だ。 このようなラーメンを、繁華街で、一杯500円ちょっとで売っているという事実に驚かざるをえない。
夜のみの営業、立地も考慮するとラーメンをすすっている客はほぼ間違いなく酒を飲んでいるハズである。 飲んで酔って味云々よりもちょっと小腹がすいたからなにか入れて帰りたい、という客で満たされているハズだこの店は。 よって味なんかどうでもよいのだ。 おそらく粗利益は480円くらいあるはずだこのラーメンは。 長崎人として、情けなくなる。 観光客がこんなラーメンを食べたら「長崎のラーメンは激マズ」なんて烙印を押されてしまう。 真面目にやってるラーメン屋さんに対しても迷惑極まりない。 非常に残念である。
2口食べて、1口スープをすすって、どんぶりを置いた。 皆口々にマズいマズいと麺をすすった。
「じゃーラーメンもマズかったことだし、帰るか」と解散。
だけどもオイは、全然シマっていないのである。 何せほとんどラーメンを食べていないのだから。 ここからは単独行動だし何をしようと勝手だ。 よし、もう一軒ラーメン屋に行ってから帰ろう。
この店は安心だ。 いつ行っても美味しいトンコツラーメンを食べさせてくれる。 ありがとうございました、とこっちがお礼を言いたいぐらいだ。 いや、事実そうしている。 酔っていようがそうであるまいがいつ行っても美味しい。 「美味しいものを食べると人は幸せになる。 ドウシマスカッ!」とアントニオ猪木が昔淡々と語ったという話はないが、この店のラーメンを食べるとオイは幸せになる。 人によれば、化学調味料が入っているという話もあるが、問題はそこにはない。 化学調味料にたよりきって大量投入している店のラーメンは食えば一発でわかるが、この店が使っていたとしてもアクセント程度に微量なのであろう。 問題は、ないと言ってしまう。
正直にトンコツを煮て抽出したマッタリとした美味しいスープがウリのラーメン屋があったのだが、急遽、突然、こともあろうに、天変地異、いつのまにか、洗濯脱水、化学調味料だらけのラーメンを出すようになった。 その変わりっぷりは大胆かつ巧妙かつ平然、信じられなかった。 ちょうど支店を出し始める前だった。 儲けに走ったのであろう。
なにしろ真面目に美味しいものを作ってくれるお店を大事にしたいものだ。
というふうなことがあったのだと、次の日嫁に話していたら腹が減ってきたというので冷蔵庫の中を物色すると3袋がひとつになった特売の焼きそばを発見、調理する。 麺は一気に3袋全部使用し、白菜、豚肉の切れ端と共に炒める。 添付の粉末ソースは3袋全部入れると辛くなる恐れがあったので2袋のみ使用することにして、仕上げに醤油をチョロッとたらした。
大皿に盛り、ネギを適当に切ってぶちまけ、行儀悪く2人前の箸を突っ込んで食卓へ。 嫁といっしょに向かい合って、とり皿も使わずに、大皿から直接すすりこんだ。
マズい料理を作るのって難しいとしみじみ思った。