豪華な病院食
息子、娘、オイの3人で暮らしはじめて5日になる。
育児というものは大変なことである。 時間が圧倒的に、なくなる。
朝と夜の食事を作ることさえままならない。(昼飯は保育園で食っている)
朝ゴハンはいつものように魚の開きに豆腐、海苔、納豆、牛乳、そして炊き立ての白いご飯といきたいところだが魚を焼いている時間がない。 よって、トーストにハムエッグ、牛乳ということになる。 子供たちからは『米を食わせろ』というクレームがつく。
夜ごはんを作る時間も限られている。 子供たちが好きそうなメニューと酒肴を2、3品作り、ワシワシ食べる子供たちを見ながら一杯飲るというのもよいものである。 がしかしそのようなヒマはない。 20:00時までには子供たちを寝室へ連れ込まないと その後寝つきが悪いし、酒なんて悠長に飲んでいるヒマが、そもそもない。(嫁が入院してからこのかた酒を断っている)
このように時間が非常に限られた状態であるからして、晩ご飯はホカ弁になってしまったり、スーパーのお惣菜になってしまったりする。 別にそういう出来合いものがいけないというわけではないが、手作りの晩ご飯を食べさせてあげれなくて、なんだかかわいそうな気がしないでもない。 しみじみそう思う。
本で読んだが、近年子供たちの一回の食事に含まれる脂肪含有量が大人よりも増えているのだとか。 その原因は、大人たちは仕事に忙しく、子供たちは塾や習い事に忙しく、なにかと一人で食事を済ませる時間が増えて、結果、脂肪分の多いファーストフードを食べてしまうからだとかそういう話が書いてあったように記憶している。
とにかく、オイだけでは2人の子供の面倒をみるのは大変だ。 嫁も居ないとイカンということに気づいた。 前回娘を出産する際は、嫁の入院中に面倒をみる子供が息子のみであり、気心が知れた男2人、のんびり楽しく過ごしたという記憶がある。 これが娘一人増えただけでこうも大変になるとは。 いやまてよ、と、言うことは、娘の世話が大変だということなのか。 そうそう、そうなのである。 我が家で最終的な決定権を持つのは、常に娘なのである。 オイがニュースを見たいと言っても、101匹ワンちゃんを見ると娘が言えばそれを見なければいけない。 息子から山に連れて行けといわれても「蚊がいるからいかない」と娘が言えば、その計画はおじゃんである。 まるで「世界のクロサワ」並みの独擅場。 娘を嫁にやると仮定して、将来の旦那さんにはしみじみ同情をする。
嫁は必要だということが判明し、3人で暮らすのも残すはあと1日にせまった頃(ヤッタ)、嫁が病院に赤ちゃんを見においでよと、言う。 生まれてからたった数日でも、大分大きく育っているらしい。 週末だし、明日は保育園お休みだし、イッチョ、行ってみっか。
我々3人がちょうど病院に着いた時、赤ちゃんはベビーベットに寝せられており、出産時との変わりように一同驚愕の声を上げる。 そして嫁はというと、晩飯中であった。 その晩飯を見た瞬間、我らは凍りついた。
ハンパでなく豪華なのである。 これは晩飯というかディナー。 カッチョイイディナーを、嫁はひとりだけ楽しんでいたのである。 部屋のドアが開き、おばちゃんが「パンのおかわりはいかがですか?」という。 嫁は「じゃ、お願いします」なんてホザク。
なーにがパンのおかわりだこのやろう。 この皿は一体何という料理名なのだ。 牛肉のクセしてベーコンなんか巻きつけやがってイキガッテんじゃねぇよ。 でもチョット食わせてみろよ。 なんでえ、ウメーじゃねえかこのやろ。 嫁、ワインを持って来いとお願いしろ。 何、アルコールはないのか。
ここ数日、オイたち3人が、さびしくしみじみと出来合いの魚フライやいなり寿司を食べていた頃、嫁というヤツは病院で優雅に、上等の食事を食っていたのである。 なんて不平等な人生なのか。 いや、そもそも人生というものは不平等なものなのだ。
とりあえず嫁は家に帰ってくる。 あぁ、本当によかった。