睡拳
世間には、どの分野にも天才がいるものだ
と思い知らされる事案に先日デパートで遭遇した。
愛用のまな板を担いでデパートに向かったのは、メーカーさんが現在出張でこちらに来ておりそのメンテをしてもらう為だった。
見てもらっている間、その他の出展されている工芸品を見て回っていた時の事。
竹細工屋さんに精巧な根付が売られているのを見つけて熱心に観察していたら「いらっしゃい」とその店主に声をかけられた。
梅干みたいに赤くて丸い顔をしたいかにも職人といった作務衣姿のおじさんだ。
「さすがよく出来てますね、少し見せてくださいね」
と断りを入れ、ためつすがめつしていたところ、フと顔を上げたらおじさんは遠くへ行く最中だった。
おきあがりこぼしみたいに、テンポの遅いメトロノームのように、コックリ…コックリやっている。
こちらとしてはちょうど良い。 めいいっぱい、気になる竹細工を見て回る事ができるからだ。
数珠を手に取ってはめてみようとしたところ、「…らっしゃい」と氏の声がした。 顔を上げれば「ネボケマナコ」で目の前を通る客に対してそう発したらしい。
完全にオチてはいないのだ。
よく見れば目をつむっているようでいて、うっすら開いているようでもある。 相変わらず左右にゆったり揺れ動き続けている。
竹細工も見事なモノだが、この氏の動きも大したものである。
つまり商売中に居眠りをしているワケだが、完全に寝てしまわない技が凄い。
まるで赤外線センサーのように、目の前を人が通れば声をかける事を欠かさない。 ひとまず竹細工は後だ、氏の観察を始めた。
よく見ると、左右に揺れているのではなく前後にも楕円周期で揺れている。 あたかも酔拳のような塩梅。
あまりにも気持ち良すぎて、時折本当に寝てしまいそうにもなっているが、その限界が来て、頭から突っ伏しそうになる寸前左手の所にはパンフレットが束になって置かれており、
そこに手を付くように伸ばしては正確に一枚つまみあげ、折りたたむ内職をしながら仕上がったものは右手に重ねてゆくという「全然寝てないよ」アピールも兼ねた職人技…只者ではない。
氏の分析が済んだ所でカエルの細工を買う事に決め、少々ためらいもしたが氏を起こし買い物を済ませ、いったい何年ほどこの商売を続けているのかを聞いてみた。
四代目になるらしい。
デパートに出展するようになってからは、三十年ほど経つという。
どおりでこの神業…ついまな板を忘れて帰る所だった。