私のさかな
その名もずばり『酒』という雑誌がかつて存在した。
と言っても実物を読んだことはおろか見かけた事すらない。 じゃあどこで『酒』の存在を知ったのかといえば、先日訪ねた西条だった。
『酒』は佐々木 久子さんという広島市出身の随筆家が創刊した雑誌で、以後彼女は42年間にわたり編集長を務めた(1955~1997迄にて休刊)。
毎号の扉は、酒をこよなく愛す作家、詩人の「酒」という毛筆で飾られ人気を博した。 西条をうろついていたところ、その揮毫(毛筆字)と「私のさかな」という随筆がずらりとパネルで展示されていた。
檀一雄
どこに在ろうと、私は酒の肴で思いわずらったことはない。 どこであれ、この地上は、そこが人間の住みつく場であるならば、必ず、したたる酒と、その酒に好適の酒の肴の存在を教えてくれるものである。
私はこのようにして、天山では羊の塩煮にありつき、ピレネーではハモン、セラノにありつき、セバン湖ではシャシュリークにありつき、バルセロナでは蟹の鋏の塩煮にありつき、ハンブルグではザワー、ブラデンにありついた等々・・・・・・、それで至極満悦したものだ。
その土地土地では、それを拒まないだけの、頑健で、柔軟で、快活な食愁さえ保持しているならば、地上はすべて、それぞれの酒の肴の好適地であって、人間、雑食の愉快は、おもむろに酒とともに、舌頭からうずまきおこってくるだろう。
この故に間違っても虜囚となるな。 私は牢獄を恐れるのではない。 己の観念の虜囚・・・・・・、乃至は妻子、愛人等、そこばくの愛着の虜囚になって、遂に己の本然の雑食性を見失うことを、おそれるのである。
昭和40年4月
獅子文六
この頃、好きなサシミが、酒のサカナにならなくなった。 まづ、三片がいいところである。 しかし、飯のオカズにするなら、うまいと思って食う。 また、コノワタ、カラスミの類も、昔ほど魅力を感じなくなった。
では何で飲むかといはれると、大変お恥かしい。 油揚とナッパと煮たやうなものがよろしい。 干瓢を薄味で煮たものなんかもよろしい。 それから秋田の枝豆(貯蔵品)なぞもよろしい。 目下は、毎日、ソラ豆ばかり食ってる。
この間なぞは、どうも食ひたいものが、思ひ浮かばず、ヤケのやうになって、ジャガ芋のゆでたのに、塩をつけて食ってみたら、結構、酒のサカナになった。
サカナを語る資格なし。
昭和40年6月
池波正太郎
うめぼし
晩酌はウイスキーか酒だが、一日の仕事が終わった明け方に、かならずビール一本をのむのが十数年来のならわしである。
このとき、何も肴をつままなかったのだけれど、このごろは梅干と、梅干といっしょにつけこんであるシソの葉をつまみながらビールをのむのがくせになってしまった。
煙草を吸いすぎた口中がさっぱりとするのがよい。
昭和47年1月
草野心平
東京の街へ出ない夜は、自分の家で独りでのむ。 所沢へ出るには遠いし、またロクなところもない。
たまにはビールも飲まないこともないが、日本酒やウイスキーのことの方が多い。 そして大概はチャンポンする。 言わば出鱈目な飲み方だが、肴もまたチャンポンの出鱈目である。(ただチーズだけは流石歴史がみぢかいだけあってつい向うのものにしてしまう。) 近くの田ん圃からノビルをとってきて、味噌味の油イタメをしたり、梅干と一緒に摺こぎですったり、大体がありあわせのものを、チョコマカやってゴマ化している。
なんにもしたくないときには香港産の腐乳を一個小皿にのっける。 それだけのこともある。 たった一人の晩の方が多いが、サケと一緒だと淋しくはない。
昭和39年4月
他にも多くの文人の「酒」が展示されている。 気になる方は是非西条へ。