撮れるものならば
最近新幹線での移動に凝っている。
本を読みながら、時々車窓を流れる景色を眺めながら「ああもうこんな所まで来たんだ」と数百キロの移動を身近に感じられる所がよい。
とりわけ楽しみなのが富士山を拝むことであり、もうそろそろかと思えば席を立ち、通路の窓に顔をくっつけて、姿が完全に見えなくなるまで凝視する。
「裾が広がっている割には低い」なんて太宰さんは書いていたが、オイの眼は山頂付近をトリミングして見ており気にならない。 そびえる巨山にただ見とれるばかり。
今回もそろそろだと、席を立とうとしたところ、横に座る白人のお婆さんがそれより早く席を立った。 「立った」というよりも、「引き寄せられた」というほうが当たっている。 眉間にしわを寄せ、大きく見開いた目は虚ろで、口を半開きにして富士山を見つめている。
お婆さんの顔を見れば、富士山がいかに人を惹き付けるのかがわかる。
富士山にレンズを向けたが、本当に撮りたいのは富士山なんかではなく、お婆さんの表情だった。 驚きに満ちたその顔こそを、何枚も撮りたかった。 そのぐらい、素晴らしい表情だった。