塩むすび
今年の盆も、婆ちゃんの待つ田舎へ。
車で家族全員ドーン、と移動するのではなく、まずはじめにオイと長男が公共交通機関を乗り継いで田舎へたどり着くのが常だ。 残る家族はあくる日にカミさんの運転でかけつける。
あえて、こういう面倒なことをするのは、息子にバスやら電車の乗り方を覚えてもらうためなのだ。 と建前はそういう理由だが、実のところ単に、そうやって行ったほうが面白いと思っているからそうしているだけ。
バスにゆられ、電車にゆられ、そのうち景色は田んぼだらけになり、その中を歩いて婆ちゃん家へ。 途中、婆ちゃんからカミサンへ何本か電話が入る。 「オイ一行はどのへんばきよるとやろうか?」 どうしてオイ自身に電話が入らないのかというと携帯なんて、家に置いてきているからだ。
ひぐらしがカナカナ鳴きはじめる頃、ようやく婆ちゃん家へたどりつく。 いつも婆ちゃんは、玄関で、満面の笑みで、曲がった腰をきもち伸ばして手をふりながら出迎えてくれる。
オイ:「来たばい婆ちゃん」 婆ちゃん:「来たとねー!」
思い返せば、もう息子の年頃には婆ちゃん家に泊まってたんだよな。 夏休みが始まったらすぐ婆ちゃん家に行き、朝から晩まで遊んで寝てを繰り返し、始業式直前に家に帰る。
昼ごはんが毎日同じだった。 木綿豆腐一丁に、両手じゃないと持てない三角形の塩むすびが2個。 はじめは食べきることができなかったが、お盆をすぎるころになると、おやつが欲しいくらいになっていたもんだ。 そしておやつも、塩むすびだった。
でもその塩むすびが旨かったんだよなあ。
柔らかめにご飯を炊くのが婆ちゃん流で、だからおむすびもやけにニッチラとしていて、海苔も巻かずに塩味だけだから、ご飯の味をモロに感じる。 たちのぼる湯気、熱すぎてすぐには持てない三角むすびを今でもありありと思い出す。
当時、梨の味を「包丁の味」と表現していたオイ小僧は、そのおむすびの味を「茶碗の味」と表していたことをいつも婆ちゃんは懐かしそうに話す。 今でも炊き立ての新米は「陶磁器の味」がすると感じる。
九十過ぎて、少し耳が遠くなったけれど、婆ちゃんは健在。
ばあちゃん、明日行くから。