強育論
子供たちが日々挑戦中の賢くなるパズルを作った宮本 哲也氏の教育論が大変面白かった。 「強育」論である。 以下己が心に止めておくべきポイントを引用する。
勉強という言葉を学習に置き換える。
教育とは、子供に生きる術を身につけさせること。
中学受験のメリットは、多感な10代をその子に合った環境で過ごすことができるということ。10代にとってもっとも重要なのは、共に学ぶ仲間なのだ。
そもそも中学入試を目標にしているのが間違いで、学習は強い人間として成長するために必要であり、中学入試の合格なぞは、行きがけの駄賃ぐらいに思って入ればよい。
子供に学習させる目的、それは、良い学校に入れるためではなく、高い学力を身に着けさせるため。 ここでいう学力とは、人が人として生きていくために不可欠な力で、それが身につくのならば、入試合格なぞ行きがけの駄賃みたいなもの。
反抗期という言葉には、自分を否定されたというイメージがあるので、自立期という言葉に置き換えます。 自立期を抑え込む行為は、親の甘え。 親がいったん自立の芽をつぶしてしまうと、次にいつその芽が出てくるのかわかりません。 もう出ないかもしれない。
大人の顔色をうかがうのがうまい子供は学習する本能が壊れている。
先に楽をして、あとで頑張るなんてできるはずがありません。 子供のうちに努力する尊さを覚えなければ、ろくな大人にならない。
ひたむきに食べ、眠り、遊び、学ぶ。 子供が健やかに成長するために必要な要素は、食事、睡眠、運動。 勉強はその次に持ってくるべきもの。
眠っている間に必要な情報の取捨選択が行われる。 眠い目をこすりながら暗記した項目なぞは記憶から消え、熱中したゲームの内容は記憶に残る。 学習内容を定着させるには、興味を持って取り組む事。 その内容を脳にしみこませるためには十分な睡眠が必要。 最低8時間は寝る。
人間は、誰かに必要とされている、誰かの役にたっているという実感が得られなければ、生きていけないいきもの。
子供を持つということは、同時に生きる意味を与えられるということなんです。 だからそれを与えてくれる子供に感謝するべきなのだ。
授業中に頭を使わない子に家庭で何をやらせても無駄である。
10年後を考えるのならば、木を植えなさい。 100年後の事を考えるのならば、人を育てなさい。
そもそも楽していい思いしようというのが間違い。 それは犯罪者の精神構造。 自分の子供をまともな努力のできない人間にしておいて、その後、まっとうな人生を送れると思っているのか。 自信とは、転んで、自力で立ち上がる時にほんの少しだけ身につくもの。
子供を育てるということは、生き方を伝授するということ。
ペットを飼うということは、命の意味と価値を知る上で重要なこと。
修復可能な傷であれば、身体であっても心であってもどんどん子供に負わせるべき。
どうしても解けない問題は、いったんあきらめる。
ヘラヘラしている子がいじめられるのは、その軽薄さが癇に障るレベルに達しているから。 何故ヘラヘラしていたのかというと、自分が傷つかないための防衛手段だと考えられる。 真剣に問題に取り組んで解けないと傷つき、悔しいが、ヘラヘラと適当に答えを書いて間違えても悔しくないし、まぐれ当たりしたら得した気分になる。
多くの選択肢の中からどれかひとつだけ選ぶのは難しい。 こういう場合は、その選択肢の中から、どうしても嫌なものを選んでひとつずつ排除していくとよい。 もっとも過酷な選択肢が最後に残るのが常だが、それを実行したところで後悔することはまずない。 それが人生。
肩こりから一生解放されるには、僧帽筋を鍛えればよい。 チューブを両手に持ち、真ん中を足で踏んで、肩を上げ下げすること朝晩30回。 これでよい。
家が欲しいと思うなら、まずは頑張って頭金をためるべき。 そして35年ローンを組んで、最初のうちにできるだけ繰り上げ返済をし、元本を減らし、20年ぐらいで返済してしまうのが正しい家の買い方。
子供に自信をつけさせる唯一の正しい手順
- 問題に興味を持つ
- ひたすら考える
- 解けても解けなくても学力は身につく
- 自信がつく
以上、強育に携わる人はすべからく読むべき本。
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