次男ところどころ
ふるさと
次女の歌う「うーさーぎーおーいし、かーのーやーまー」を聞いた次男はとっさに家内のところへ駆け寄り、「かのやまって蚊のいっぱいおる山のことやろ、どこにあると?」という我々が言えばベタベタなことを真剣な顔で質問していた。 こういう年頃。 ちなみに長崎に伝わる童謡「でんでらりゅう」の歌詞「でんでらりゅーがでてくるばってん」は、どこかから龍が出てくる事だと勿論思い込んでいる。
する必要はない
先日ようやく抜糸を済ませたというのに(パックリ)、今度は友達と正面衝突して眼の上に青アザを作って帰ってきた。 見ていると歩くにも、階段を上るにも、なんかひとつ不必要な動作がある。 それをやるから危険度が増すわけで、もっとちゃんとやっていただきたい。 目をつぶって歩いてみたり、回転しながら階段を上がってみたり、ほんとにもう・・・。
ゲーム
兄姉の影響でDSやWiiに手を出すようになった。 プレイしている姿をみると、じっと画面を凝視し、口を半開きにさせ、キャラクターを追うたびにそのほうへ無意識に体を持っていっている。 この年頃の子供にゲームをさせると、皆同じような反応をする。 これはゲーム以外では見られない子供の一面だ。 ゲームをやるなとは言わないが、やはりちゃんと時間を決めて遊ぶべきだろう。
坊主
暑いのでバリカンで坊主に刈ってみた。 はじめての試みだったが本人はまんざらではない様子で、園では「頭をなでさせてー」と先生園児に人気らしい。 たぶん味を占めているので、おろらくしばらくは自ら「坊主に切って」とお願いしてくるだろうと思われる。
でんでらりゅうばの歌は「にほんごであそぼ」で覚えた為、この記事を読むまで龍の歌と信じていました。でんでらは龍が出てくる擬音もしくはある龍の呼び方で、龍が出てくるけど、出られないから出て来れない、来ない、来られないけど、来られない???と言葉遊びの歌だと勝手に・・・(赤面)「でらりゅうば」がひとつながりで、出られるならば、という意味なのですね、勉強になりました(ペコリ)巨人の星の歌を「重いコンダラ(タイヤをつないで腰に結ぶ道具の名前)、試練の道を・・・」と覚えていた友人の事を思い出しました。
「重いコンダラ」の話、たしか昔学校の先生に聞いたような記憶があります。 なるほど 「でんでらりゅうば」は龍と解釈しても違和感ありませんね。 それにしても子供の言う事は面白いです。 最近気づいたのが、次女は「ジャボン玉」のことを「シャボンダ」といい、次男はゲームにでてくる「アイテム」のことを「アイテ」といいます。 どちらも一文字足りないんですよね、何故か。