神田のまつや
こないだ思わぬ人生修行をしてしまった蕎麦屋へ向かう途中、灯りは消えているものの、やけに趣のある建物を通り過ぎていた。
それが蕎麦の老舗『まつや』だと知ったのは「その辺だったら素直にまつやへ行けばよかったのに」と、事情通に教えられたからだ。
名前は聞いていた。 でも蕎麦屋は閉店時間が早いので、なかなか行く機会がなかった。 そこでこの度腹をくくり、まず夕刻蕎麦をススってから呑みに繰り出そうという逆を行く決心をしたのだった。
時間によっては混んでいると聞いていたが、訪れた16時はまだ空いていた、狙い通り。 ガラリ戸を開けば女中さんが5、6人昭和的な様相にて出迎えてくれる。 テーブルに着き、水が運ばれてきたところで「もりそば」をひとつ注文した。
メニューには肴もあり、天ぷらの文字に釘づけとなったが、あくまでも今回江戸の蕎麦を味わいに来たのであって我慢我慢。
ポツポツお客が席におり、日本酒を呑みながら蕎麦を黙々食べているいかにも常連だという老人や、スーツ姿でビールを酌み交わしながらあーでもないこーでもないという会話をしている「出張ついでに寄りました」的サラリーマンの姿等、客層は広い。 私のすぐ前に座るマダムはかけそばをススっていた。
今「ススっていた」と書いたが彼女の食べ方は厳密にいえば音をまったく立ててはいなかった。 箸で蕎麦をつまみ上げては上品に口を開いて折りたたみながら口を閉じ閉じノド奥へ運び、モクモク食べるというやり方だった。
「もしかして江戸の蕎麦はこうやって食べるものなのか!?」
という疑念が浮かんだ。 そこであたりを見回し、蕎麦をススっている人を見つけようとしたが皆ススっていないではないか。 これではもりそばが運ばれてきた際どのように食べればよいのかわからない。 変な所に緊張を抱いてしまった。
老人の団体客がとなりのテーブルに着いた。 しめた事に各々「ザル」や「もり」を注文されている。 とここで、我がもりそばは到着してしまったのだった。
蕎麦なら何度もススってきた人生である。 老舗のもりを前に何臆する事があろうか。 豪快に、とまではいかないがフツーに蕎麦をつまみあげて猪口に浸し、あそういえば、江戸っ子はツユにザブンと浸したりしなかったんだっけ、など思いもしたがいつも自分がやるように浸してスルスル食べた。
何に驚いたかってそのツユの辛さである。 これなら自ずとドップリ蕎麦を浸すわけにはいかない。 次はやや少なめに蕎麦をつまみ上げ、その先っちょだけを浸してススりこんだ。
「ズロロロロォーッ!」
何に驚いたかって、その蕎麦をススり込む音にである。 まさか自分がこんなに音を立てて蕎麦をススる事になるとは思いもしなかった。 我ながらいかにも蕎麦を喰っている美味しそうな音である。
あ、なるほど!
ツユにドップリ蕎麦を浸すとつい、猪口に口を近づけてしまうんだな。 でも蕎麦先だけ浸すという事は、大半の蕎麦は猪口外に居るワケだから、蕎麦をススりこむ距離が伸びたというワケか。
さらにこの、固めな蕎麦の茹で加減。 ウチの田舎でこれを出すと「生茹でやろが!」とおじさんが怒り出すかもしれないというほど角が立っている。 それがまた辛いツユとよく合うし、音が鳴りやすい!
つまり小気味よい音をたてながら蕎麦をススるには、ツユを辛く、蕎麦を固く仕込めば良いと云う事だったのだ!
食べて一目散に帰郷した。
そして夏、中元で貰ったちょっと上等な蕎麦を引っ張り出してきて固めに茹でて、メンツユに醤油を足して辛くした。
そして勢いよくススりこんでみると、まつやの味がここにあった。
もちろん老舗の味はそう簡単に真似できるものではない。 大変失礼な事を書いてしまっているが、まつやさんを冒涜するつもりなぞさらさらない。 味もさることながら、店の雰囲気や歴史を含めての「蕎麦はまつや」なのだ。