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2014/02/08

松浦弥太郎さん

3月2日にこのようなイベントを行う。 登壇し、檀流クッキングの再現に尽くす。 それに先立ち、檀さんの墓参りに行かなければ。

当初は『暮しの手帖』編集長の松浦弥太郎さんも出演される予定だったが、都合により変更となった。 オイ的には著書をいくつか愛読していただけに、是非お会いしてみたかったものだが。

そこで我が教訓としてメモさせていただいている松浦語録を下記引用する。

時間に追われるのではなく、いつも自分が時間を追っていたい。 うまくいけば、時間を追い越してしまうくらいの覚悟でいます。 そうすると、時間に縛られる感覚がいっさいなくなり、逆にリラックスして仕事に集中できるのです。

「このテーマについて、この方法で勉強してください」と指示されなければ勉強できないと思い込んでいる人もいるかもしれません。 しかし、僕にしたところで、最初から何を勉強すべきかわかっているわけではないのです。

まず、テーマは何でもいいので、ひたすらそれについて考えます。 考えると必ず、わからないことがたくさん出てきます。 あるところまで考えていくと、「ここから先は、何かを学ばないと進めない」というものが、いくつも浮かんでくるのです。 本来、考えるということは、そのつきあたりから先に進むことなのです。 もうだめだと思ったところからが考えのスタートなのです。

僕はわからないことを「わからないリスト」にし、それらについて勉強します。 リストはたくさんあるほど楽しいので、どんどん増やし、計画を立てて勉強します。

片方の道にはまるで興味をもたず、どのように変化しているかを知らず、知ろうと努力していない人は、プロの風上にも置けないと僕は思います。 壁をつくって自己完結をしている人は、学んでいない人だと。

人は普通、お箸の真ん中あたりを持ち、下手な人ほど下のほうを持つらしいのです。 逆に言えば、できるだけ上のほうを持つと、とてもきれいに見えるということです。

「人につくって食べさせるのは頑張るけれど、一人ならカップラーメンでいい」友人である料理人がこう言ったとき、僕は怒りました。 自分の手料理を食べた人に喜びとしあわせを感じてほしいなら、まず自分がしあわせにならなければだめじゃないかと。 「自分だけだから、まあいいか」と思ったとたん、おいしさもしあわせも逃げていきます。

食事は人生にかかわります。 基本的には一日に三回、毎日繰り返すことですし、何も食べずに生きていくことはできません。 自分や家族の手料理でも、お店で売っているサンドイッチでも、つくった人の心がこもったものを、おいしく食べたい。 食べるということに対して、きちんと感謝したい。 それ以外のものは、おそらく毒に近いんじゃないかと思います。 忙しさを口実に、いつも機械でつくられたものばかり食べていたら、大人も子どもも不幸になってしまう気すらします。

たしかに街中に、あらゆる便利な食べ物があふれています。 しかしそれらは、あくまで緊急の場合、やむを得ないときの非常食。 「体に悪いけれど、今は仕方がない」という認識をもって、我慢しながら食べるべきものなのです。 それなのに、コンビニのサンドイイッチで朝ごはん、お昼はカップラーメン、夜はデパートのお惣菜という食生活が「基本」になったら、味覚はどんどん鈍くなります。

添加物の問題もありますが、「心がこもっていないものを食べても満たされない」というのも大きいでしょう。 その証拠に、おにぎりやカップラーメンだけでは物足りないと、菓子パンやお菓子を追加する人も多いようです。 こんな暮らしが続けば、体だけではなく、心の健康も損なわれてしまいます。 「一日三食、自分で料理をしろ」と言うつもりはありません。「外食するならオーガニックの店か高級レストラン!」と言いたいのでもありません。

その日の体調や置かれた環境、忙しさやお財布のぐあい、あらゆる制約があるなかで、「今の自分が選べるなかで、最良の食事は何か?」をきちんと考え、選択しようという提案をしたいのです。

おいしい料理とは、レシピを教えた人から人へと伝わるうちに、どんどん変わり、どんどんおいしくなって完成していくといいます。

七十歳ぐらいになって孤独と暇が訪れたとき、ギターが気持ちよく弾けたら、さぞいれしいだろうと、わくわくします。 もうすこし詳しくいうと、「大好きな一曲だけを、じっくり二十年くらいかけて、気持ちよく弾けるようになりたい」という長いスパンのものです。

きれいなところを、もっときれいにすることは、一つの創造です。

自分たちが今いる場所を大切にしていれば、ささやかでも確実な自信になると思ったのです。 「すみずみまで毎日掃除している」という努力の事実があれば、小さくても誇れるものができると。

まず、高い山のてっぺんの、ちょっとしたくぼみに座っている自分をイメージします。 わざわざ下を向かないと雲も見えないほど、とても高いところです。 ゆるやかに、ふわりふわりと流れる雲は、はるか彼方下方にあります。 そこにいるのは、たった一人で座っている自分だけ。 あたりはまったくの静寂。

目に入るのは、雲すらないあかるい空だけ。 感じるのは、ちょこんと腰を下ろした山のてっぺんのくぼみだけ。 だんだん、感覚を消していきましょう。 まずは座っているおしりの感覚を消します。 おしりが少しずつ宙に浮いていきます。 ぷかぷか浮かんだら、ほんとうにリラックスして気持ちがいいので、ごろんと空に寝そべりましょう。 横たわって手足を伸ばします。 目を閉じれば、もう空も見えません。

感じるのは、ぷかぷかと気持ちの良い空に浮かんでいる感じだけ。次が面白いところで、手足が体から離れていくところをイメージします。 痛みもなく、あたかも風に飛ばされた雲が飛んでいくように、ふわりと手と足が胴体から離れるイメージをします。 離れた手足はぷかぷか浮かび、やがて細かい破片となって風に運ばれ、空に溶け込み、消えていきます。 手足が消えると、より軽くなり、ぷかぷか浮いたままでリラックスできます。 ついでに今度は胴体を、腰から上と下に、同じようにふわっと離してしまいます。

胴体の次は頭を離します。 さらに自分の体を小さく、小さくバラバラにしていきましょう。 やがて体は、真っ白い玉ねぎのみじん切りのように細かくなります。 そしてついには、雪の一片くらいになり、さらには雲の粒子くらい細かくなり、どこからともなく吹いてきた風によって、消えうせてしまします。 ついに体はなくなりました。 それでも、プカプカ浮いている心地よさだけが残ります。 心地よさを味わいながら、眠りにつきましょう。 これが僕のおすすめする、無になるための練習です。

以上。 松浦さんありがとうございました!

http://oisiso.com/tokyolitfest.html

http://tokyolitfest.com/program_detail.php?id=25

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