閉店・・・
その居酒屋へは親友が連れて行ってくれた。
オイはまだ二十歳そこそこで、酒をガブ飲みしてただ酔えればそれでよかった。
その頃店の大将は40前で今よりだいぶ威勢がよかった。 「美味しい刺身を切ってちょうだい」と言った客のその一言が気に触ったらしく、顔に返り血を浴びながらピチピチの魚(マゴチ)をすばやくおろし、美しい刺身を作り上げた。 それを客の前にスッと差し出し「はい美味しい刺身お待ちぃ・・・・」とにらんだ。 いや、元々にらんでいるような顔をしているので実はにらんでいなかったのかもしれないが、それはさておき、隣に座っていたオイも肝を冷やした。 「マズイ刺身なんてウチにあるわけなかろうもん!」という気迫が覆いかぶさってきた感じ。
この店の一風変わった酒肴の魅力にどっぷりハマるのにそう時間はかからず、いつのまにか毎週のように通うようになっていた。 いつしか大将とも親しくなり、店がすいた時は2人で飲み、その足で近くのスナックに行き、朝まで飲んで、そのまま仕入れに同行したりもした。
古い常連さんに「キミ、こんなに美味しい料理を食べるときは帽子を脱ぎたまえ。 それが大将に対するマナーというものだ!」と怒られたときは「・・・まぁいいじゃないですか。 ウチはそんな堅苦しい店じゃありませんし」と言ってくれた。
「大掃除を手伝え」と電話があり、無理やり手伝わされたことが多々あった。
所持金が千円しかないのに腹いっぱい飲ませてくれたことも多々あった。
体調を崩し、長期にわたり休業したときは、本当に心配した。
店の主なのに酔いつぶれてそのまま寝てしまうときがあり、少し心配になったりもした。
月日が経つにつれ、店にあまり行かなくなった。 結婚すると独身時代のようなわけにもいかんし、仕事諸々の付き合いもあるし。 気がつくと、年に数回程度しか顔をださなくなってしまっていた。
それでもたまに、のれんをくぐると大将は怒ったような顔でニッコリと迎えてくれて、いい酒を飲ませてくれた。
この前大将から電話があった。 諸事情により店を閉めることになったという。 理由はきかなかったが、相当な理由があるに違いない。
昨日店の前を車で通ったらシャッターが下り、看板が取り外されていた。 せめてもう一度だけでも行っておけばよかった。