23年前ぶりに7つの習慣を熟読して考えた事
この春長男は巣立ち、一人暮らしを始めた。
その新生活にあたり、各種用意するものは家内と共に手分けして済ませたが、何かしら父としてはなむけの品をプレゼントしたかった。
腕時計も良いだろう、スニーカー等面白いかもしれん。 だがしばらく考えた結果、私が選んだのは世界的に誉れ高い名著、『7つの習慣』だった。
飢えている人に魚を与えれば一日食べさせる事ができる。 だが魚釣りを教えれば一生食べさせる事ができる。
この一句を覚えたのはたしかこの本ではなかったかと記憶している。 私は息子に魚釣りを教えるつもりで本書を手渡したのである。
これまで無数に本を読んできたが、そのほとんどはもう捨ててしまった。
だが一部残しているものもあり、それらは全て思い入れが深いものに限る。
7つの習慣もそのひとつであり、これを書店で買い求めて一心不乱に読みふけったのは、なんと23年も前の事である。
あまりの年月にこうして書いていても震えがくる程であるが、そりゃ年もとるワという感想しか抱けない。
息子へ新装版を与えたのをきっかけに、倉庫へ向かい当時の本を引っ張り出してきた。
ページをめくると所々付箋がしてあり、あちこちに蛍光マーカーで線を引いている。 当時の自分がいかに真剣に読んでいたのかが分かる。
なぜその頃書店でこの一冊を手にとったのかといえば、人生に悩んでいたからだ。 自分を変えたくて、向上したくてもがいていた。
その頃この本はまだ日本語訳にされたばかりで今日のように多くの人が知るものではなかった。 しかし、冒頭をペラペラめくって立ち読みしたあげく、そのままレジへ向かっていた。
何度読み返したのかも分からぬほど読んだ。 そしてそこに書いてある事を、自分への誓いとしてできるだけ忠実に守った。 当時の自堕落な生き方からすれば、それこそ血のにじむ努力だったに違いない。
やがて物事は好転の兆しが見え始め、今こうして23年経過した今、まだ発展途中ではあるものの、おおよそ思い描いた生活ができるようになっている。
仮に当時の自分が今の自分を見たら、いささか驚くかもしれない。
一日に30分程時間を設け最初から読み返している。 ほとんどの内容は頭に入ってはいるものの、個人憲法の件に限っては新たに練り直す必要があるのを感じた。
あの頃の自分は、まさか23年経ってもこの本を読み返す事になるなど思いもしなかっただろう。
そして読み返すキッカケとなったのは、息子に贈ったからであり、その点彼にも感謝するべきなのかもしれない。
現在から23年経ったら世界はどのように変化しているのだろうか。 その頃もはや老人となっている私は、この本を読んでどのような感想をいだくのだろうか。 そしてどのような生活を送っているのだろうか。
こないだのGWに息子が帰ってきたので「読んでみた?」と聞けば気まずそうなまるで梅干しでも頬張っているような顔をして「うんチョットだけ」と返ってきた。
ほとんど読んでいないのだろう。
私から彼に送る事ができるパスは本を一冊渡す程度である。 そのパスを上手にトラップしてゴールにつなげるか否かは、彼自身にかかっている。 人は心から自分自身を変えたいと思わぬ限りは外部からいくら何を言われようとも変化できない。
7つの習慣が、これから幾多の困難が待ち受けているかもしれぬ息子にとって、大切な一冊となっている事を祈っている。
※少し検索すると、年少者向けの本も出版されていたのでそれを中学生の次男に与えた。 学校で読んでいるらしい。