たぶん何かの味方で
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仕事帰りにビアバーが目に入り「一杯やってくか」とツレにめくばせしたら向こうもその気だった。
全国各地に支店のある有名店である。 これまで数えきれないくらい飲みはじめの一杯を世話になってきた店だ。
ビアバーだもの、ぜひカウンターに着きたい。 そしてサーバーから注がれてゆく黄金を、まじまじと観察していたい。
相変わらずにぎわっている。 スタッフのマナーもすこぶる良い優良店。 カウンター内には注ぎ手が三人いる。 その中に、あきらかにひとり異質の空気を放つ男がいた。
率直に言うと店のカラーと合っていない。
年のころは40代半ば。 ピンと背筋が伸びているが無理しているわけでなく自然体。 いってみればオードリー春日のそれ。 動きにまったくよどみがない。 いってみれば羽生結弦のそれ。 髪型はぴっちり七三で黒々しい。 いってみれば中井貴一。 黒縁のメガネは一見ダテにみえるほど似合っていない。 いってみれば宮川大輔。 ヒゲはきれいに剃りあげている。
次々オーダーの入る生ビールを黙々注いでいるが、その所作の美しい事。 ニコリともせずこなしているがムスッとしているワケでない。 むしろ一種の悟りを開いているような、ぼんやりとしたまなざしでジョッキへビールを注いでいる。
この店ではビール一杯を注ぐのに4分を費やすが、かつてこれほど優雅な注ぎ方を見た事がない。 もはやダンスである。 この男を表現するには私の力では役不足である。 詩人を座らせなければならなかったココへ。
男が見とれてしまうほどの男なのだ。
だが、仕上げの泡を注ぐ段階になると男の目つきは一転した。 まるで「ねぶた」のような鋭い眼光がジョッキに刺さる……ビールが凍ってしまうのではないかと思った。
動作もボクサーみたいに機敏になった。
次々に完成してゆく完璧なフォルムを持つビール。 泡は真夏の入道雲のようジョッキから大きく盛り上がっている。 いつの間にかスタッフは氏を取り囲んでおり、間髪入れずホールへ満面の笑みと共にビールは運ばれてゆく。 氏は燃え尽きて、たたずんでいるだけだった。
名札には「黒田」とある。 黒田氏はこのカンパニーのオーナーなのであろうか。 そうでないとこれほどまでに魂を込めた仕事はできまい。
否、もしかするとこの仕事は世を忍ぶ仮の姿であり、なにか別の強大な悪と戦わねばならない責務があるのではなかろうか、等ツレと飲みながら話し合ったがついに結論は出なかった。
ビールを二杯飲んだ所で席を立った。 ちょうど黒田氏が近くに来たので「美しい仕事をなされますね」と声をかけようとも思ったが彼はそれすら赦してくれなかった。 「…ハナシカケナイデ」という心のささやきが聞こえたような気がしたのだ。
一週間後、また同じ店を訪ねた。 あいかわらず賑わっている。 カウンターに黒田氏の姿はなく、新人を絵に描いたような若者がせわしくビールの対応に追われていた。
注文をさばききった所を見計らい、黒田氏の事を聞いてみた「先週も伺ったのですが、その時黒田さんという方がいましてね、綺麗な仕事ぶりに感動したんです」。
新人の山中君はこう答えた。
あ、黒田さんですね、今日は別の店の手伝いに行っています。
「すると黒田さんは御社の社員にビールの注ぎ方を伝授するスーパーバイザーか何かなんですか?」
いえ、そんなワケじゃなくてですね、私たちと同じ一社員です。 本来この近くの別の店舗で働いていたんですけどそこ閉めちゃってですね。 それで所属店がなくなったからそれが決まるまでアチコチの店を回っている、という感じなんです。
……たまに「アイツらだけは許しちゃおけない」とか独り言つぶやいたりしてません?
特に気になった事はありませんけどねえ…あ、そういえば!
この話の続きはまた次の機会に。