あなた幸せ者だ
以前食通の知人に博多の鮨屋を紹介してもらった事があった。 なんでもイチオシだとのこと。
いざ向かえば、結構な大店である。 つけ場内には戦隊ヒーローのように板前がズラリと並んでこちらを見ている。 中でも目についたのが、真ん中のいる恰幅の良い若者であり、その奇抜な髪型、そしてなによりも着用している白衣から目を離せなかった。
その理由は、あたかも暴走族の特攻服みたいに、原色系の刺繍で埋め尽くされていたからだ。 もはや白い部分が少ない。 あっけにとられて席にもつけず、ただ呆然と、何と刺繍されているのかをただただ読むしかなかった。
・いよっ!若旦那参上!
・四代目!
・寿司屋!
・男前だね四代目!
以上の文言が、紫や金の糸で図太く縫い込まれているのだ。 とにかく感嘆符が好きだという事と、四代目になるのだという事はよくわかった。 本人はこれでもか、という表情でこちらを睨みつけている。
すこしイラッときたのでこちらもマジマジと睨み返しながら席についた。 ハッキリ言って、店を出たかったが、それでは教えてくれた知人に申し訳ないと思い、軽くつまんで店を出、呑み直そうというプランを即興で立てた。
「何にしやす?」と聞いてきたのは、端から2番目に立つ板前だった。 酒と刺身と握りをいっぺんに注文した。
どうやら四代目が握るらしい。 その様子を眺めていたら、こうだ。 まず隣と談笑しながらスマホをいじり、その手でタネをつかみあげてチャチャッと握ってはスマホを眺め、という塩梅である。
特攻服を引っぱがしてやりたかったですねまったく。 そこをなんとか、愛する我が子の顔を思い浮かべながら冷静さをとりもどし、いざ夜逃げするみたいに店を出た。 もちろん二度と行くか、である。
しかしよくこんな店が長続きするものだと不思議でならない。 取り巻きの板前もそれなりに熟練の経験を積んできた人生のハズである。 なのにただ、四代目だというだけで、その横暴に見て見ぬふりをするのだろうか。
あくる日、この事を知人に話したら、それは最近代を継いだ息子で、どうしようもないヤツだという事だった、早く言え。 ちなみに先代の鮨はことさら素晴らしいそうで・・・後から言うな。
先日数年ぶりに、その知人とこの嫌な店へ行かねばならないハメになった。 場所を変えろと必死で説得したが、諸事情により無理だった。 もちろんまったく気が進まない中のれんをくぐると・・・四代目は更生していた。
刺繍まみれの白衣は脱ぎ捨て、髪は坊主に剃り上げて、おまけに少し痩せたではないか! 対応も笑顔も職人そのもの。 彼は我らの知らぬウチ、大変な苦労を周囲から強いられたもしくは自発的に行動し、見事生まれ変わったのだ。
握りもオイシカッタです。
ゆったり酒を飲みながら、なぜか頭に浮かんできたのが、北朝鮮の某氏である。 つまり某は、更生前の四代目なのである。 「その髪型変ですよ」「そんな事してみんな困っていますよ」と言ってくれる人が、回りに誰も居ないのだ。
子供を沢山持ってみれば良い。 朝早く起きて、山に登ってみると良い。 お年寄りの話に耳をかたむけ、困っている人に手を差し伸べてみたら良い。 そしたら四代目みたいに変われると思うんだが・・・誰に言ってるんだ一体。