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2012/05/07

世界を見る目が変わる50の事実

GW中に倉庫を整理して大量の古本を処分した。 その中で見つけた一冊が『世界を見る目が変わる50の事実』。 ずいぶん前に読んだ本だが、目次をザッと眺めるだけでもなんちゅうかこう・・・。

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2012/02/24

考える練習をしよう

長男のために買った『考える練習をしよう』という本に目を通したところ、かなり面白かった。 本の対象年齢は「10歳以上のみんな」だ。

道のゲーム

  1. 二人で行う。 ひとりはペンを持ち、もう一人は目隠しをする。
  2. 紙に線を引く。 曲がりくねった線でかまわない。 描き終わるまでペンを紙から離してはいけない。 描き終わったらスタートに矢印を書き、ゴールに×印をつける。
  3. 目隠しをしている人に違う色のペンを渡し、矢印のところに置かせる。
  4. これから線を引いた人は、目隠しをした人に線をたどらせる。 いくらでも指示を与えてよいが、相手の体や、ペンに触ってはいけない。 「上に行って・・・そこからすこし左、あー違う違う」  相手は指示をよく理解してくれただろうか?
  5. お互いの役目を入れ替えてもやってみる。
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2011/11/14 酒肴

大根おろしの卵かけ

大根おろしの卵かけ

大根おろしの上に、生卵を割り落とし、醤油をたらしてかき回して食う」

と、團 伊玖磨 の『パイプのけむり』にあったから、早速試してみたらこれがまた旨かった。 あっさりしたトロロのような味がして、ザックリ混ぜて匙ですくえば酒のアテにもなる。 もちろんこれをご飯の上にかけて、かっ込んでもイケる。

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2011/09/06

『御馳走帖』内田 百けん

記憶

自分の古ひ思い出の中で、どの記憶が一番古いかと云う事を、きめるのは困難である。 幼少時代の自分に関係した事柄は、自分で覚えてゐると思ふ事が、実は後になって、母や乳母などの口から語られた事の聞き覚えであつたりする。

外部の干渉

きらひではないけれど、飲みたいと思つてゐない時に、先方の思ひつきで飲まされるのは迷惑である。 後の用事とか予定とか、さう云う事は第二としても、自分のおなかの中の順序に、外部から干渉されるのが、いやなのである。

佳肴

午後ずつと仕事をしてゐても、私は間食は決してしない。 ただひたすらに、夕食を楽しみにしてゐる。 一日に一ペンしかお膳の前に坐らないのだから、毎日山海の珍具佳肴を要求する。 又必ず五時に始まらないと騒ぎ立てる。 その時刻に人が来ると情けない気がする。

永年酒を飲んでゐる人は何人でもさうであらうと思ふが、いつの間にか自分の口に合つた酒がきまつて、外の酒ではいけないと云う事になる。

こくがあると云はれる様な酒は常用に適しない。 反対にこくがなくてさらりとした味に、清い香気と色の吟味が酒飲みには一番大切なのであらうと思はれる。

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2011/07/11

大甚

大甚のカウンター

店に入ると長テーブルがズラリと並んでいて、どのテーブルにも客がギッシリ座っている。 ガヤガヤ楽しげな会話が飛び交う。

台の上に様々な酒肴が盛られた小皿や鉢が並んでおり、その中から食べたいものを自分で取る。  純和風の一品ばかりで、店内にデンと据えられている賀茂鶴の樽との相性は抜群である。  この賀茂鶴がまた、髪が逆立つほど旨い。 刺身は専属の職人が立つ厨房の前に並べられている。  大衆酒場だというのに、ヒラメは天然ものだったりする。

肴をつまみながら呑み、しみじみ味わった後に猪口をテーブルに戻したところ、 そのタイミングに合わせたかのように「うまーい・・・」という声がした。 声の主は、片隅で飲んでいる老人だった。  こちらを見てニヤリと笑っている。 「こんな旨い酒呑んだことないです」と言えば、 「ここでしか飲めない酒だよ」と老人。 彼は時折店主と仲よさげに言葉を交わしながら、「こんな旨い刺身をこの値段では普通食えない」とか、 「この店のテーブルは全部ケヤキ製だ」等という「大甚こぼればなし」を聞かせてくれた。 きっと古くからの常連なのだろう。

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2011/06/29

あまカラ

素材

トウモロコシは畑から取ってきてすぐゆでたものがうまい。 大根は畑で抜いて、皮をカジって剥ぎながら肩の青いあたりの一、ニ寸がうまい。 ナマコは海で取って泳ぎながら、シゴいて食べるのがうまい。 ウニは海で取ったのを生でも食べるが、海岸で焼いて食べるのがうまい。 固く乾いたホシガレイは金鎚で叩いてほぐしたのがうまい。 ボーダラは、汗が出るほど力を入れて引き裂いて食べるのがうまいのだ。

「副食物はホシイワシのたぐいである」

と、大隈(重信)はいう。 魚の頭や骨は決してすてない。 それをこまかくきざみ、塩をして貯蔵し、ときどき取り出してひば(干した大根の茎や葉)かなんぞと一緒に煮て食うのである。

魯山人とトゥール・ダルジャン

パリのノートルダムの後の方の海岸にトゥール・ダルジャンという有名なレストランがある。 ルイ十何世からの店で、出される鴨にはその頃からの通し番号がついている。 丸ごと焼いた奴を一旦お客に見せてから、料理場へ下げて、改めて味をつけて出してくるという手のこんだことをする。

それに味をつけることは、余計な手間だ。 鴨の持味を殺すようなものだ。 そのまま横腹を切ってこいといったのが魯山人である。 ~中略~ 魯山人がやおら風呂敷包をひろげて出したのは、醤油とわさびだ。 醤油は関西の何とかいううるさい醤油である。 わさびは粉わさびだが、このごろは粉のほうがいいという説明である。 そいつをガラスの底でこねている白髪の老人を、満堂の紳士淑女は珍しそうに眺めている。 コックもいつの間にか出てきて、そばにポカンと立っている。 ジイさんの得意や思うべし。

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2011/06/25

『舌鼓ところどころ』吉田 健一

卓袱

御鰭と呼ばれるのは、客一人に就て鯛を一尾使った証拠に、椀毎に鯛の鰭を二つずつ付けるからだそうで、客が先ずこの鰭を取り除けて宴会が始る。

卓袱料理はもともとが一種の家庭料理で、今日でも長崎で客に家で御馳走する時はこの方式に従うことが多いそうであり、~中略~

銘々が小皿に料理を取り分けるのに、箸は返さないことになっていて、小皿が一人に就て二つしかないのは、小皿に取ったものは全部食べてしまえということになる。 だから、酒を浴びるように飲んでも、二日酔いはしない訳である。~中略~

卓袱料理を考えた人間はやはり酒飲みだったのに違いない。

角煮

脂っこいのに、それが滋味に感じられるだけで、一つ食べることがもう一つ食べる気持ちを誘う。 どちらかと言えば甘い煮方なのが、この場合も酒を辛くするのに丁度いい程度で、本当を言えば、これを皿に盛ったのと酒があれば、それだけで充分な御馳走である。 これを十一食べた先輩がいるという話も聞いたが、無理もないことだと思う。 消化はいいのに決まっているし、要するに、幾らでも食べられて、翌日、又食べられるのがこの豚の角煮である。

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2011/06/21

『父の詫び状』向田 邦子

薩摩揚

土地の人たちは薩摩揚とはいわず、「つけ揚げ」という。 シッチャゲと少々行儀の悪い呼び方をする人もいた。

骨湯

煮魚を食べ終ると、残った骨や頭に熱湯をさし、汁を吸うのである。 私の体が弱かったせいもあって、滋養になるからと祖母はかならず私に飲ませた。 私は目をつぶって飲んでいた。 今はこんなことをする年寄りも少ないと思うが、昔の人間は塩気を捨てることを勿体ながり、祖母は小皿に残った醤油まで湯をさして飲んでいた。

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2011/05/09

薄田 泣菫 『茶話』

薄田 泣菫の『茶話』を読み終えた。

茶話は大正末期から昭和にかけて、毎日新聞に掲載されていたコラムであり、当時の毎日新聞は、この茶話だけで売れていたと、開高 健が『知的な痴的な教養講座』に書いている。

今回読んだものは、昭和三年に創元社が出した『茶話抄』に収録された著者自選の154篇を再録したというもの。

丸谷才一は、薄田 泣菫について次のように語った。

泣菫は例のコラムニストのはしりなわけだが、 しかしこんな紹介の仕方をしたせいで、後世の猥雑なコラムと同一視されては気の毒だから、 一つ見本を出してみよう(「俳諧師の頓智」を引く)。

泣菫は、知的であることと暖かい肌合いとが一致しており、イメージの使い方がじつに巧妙だ、と評している。

その「イメージの使い方」について、解説の坪内祐三はこう書いている。

イメージと言えば、『茶話』を一読した読者は、泣菫が人間を動物にたとえる比喩表現に巧みなことに気づくだろう。  そしてその比喩が独特のユーモアをかもし出していることも。

読んでいて気になった表現を以下列記。

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2011/04/19

宮崎 駿『出発点 1979~1996』

出発点 宮崎駿

宮崎 駿の『出発点』をひと月かけて読んだ。

宮崎アニメのマニアだというわけではない。 ひとりのファンとして作品を鑑賞しては、感動しているという程度のごく一般的な好感度をスタジオジブリに抱いているわけで。

それにしてもこの本は面白かった。 以下、覚えておきたい部分を引用する。

天空の城ラピュタ

アニメーションはまずもって子供のものであり、真に子供のためのものは、大人の鑑賞に充分たえるものなのである。 パズーは本来の源にアニメーションをとりもどす企画である。

テーマもなにも、男の子が女の子と出会ってひと肌脱ごうという(笑)話で、男になったってだけなんです。

昔に書かれたSFという感じで作ったのです。 蒸気機関車の頃に書かれたSFのように書いたんです。

カリオストロの城

「・・・・・・もう十年以上昔だ。 オレはひとりで売りだそうとヤッキになってる青二才だった」(「カリオストロの城」のセリフより)

紅の豚

国際便の疲れきったビジネスマンたちの、酸欠で一段と鈍くなった頭でも楽しめる作品、それが「紅の豚」である。 少年少女たちや、おばさまたちにも楽しめる作品でなければならないが、まずもって、この作品が「疲れて脳細胞が豆腐になった中年男のための、マンガ映画」であることを忘れてはならない。

となりのトトロ

「となりのトトロ」の目指すものは、幸せな心暖まる映画です。 楽しい、清々した心で家路をたどれる映画。 恋人たちはいとおしさを募らせ、親たちはしみじみと子供時代を思い出し、子供たちはトトロに会いたくて、神社の裏の探検や樹のぼりを始める。 そんな映画を作りたいのです。

これははっきり言いたいのは、あの時代が懐かしいから作ったんじゃありません。 やはり子供たちがあの作品を見たのをきっかけにして、ふと草むらを駆けたり、ドングリを拾ったりしてくれないかなとか。 もう本当にわずかになっちゃったけど神社の裏側にもぐって遊んでくれないかなとか、自分の家の縁の下を覗いてドキドキしてくれないかなとか、そういうことなんですよね。

アニメーションの主題歌はアイドルの売り出しに使われたりしますが、流行を見ても、結局声が出ず、音域のせまい今様の歌は子供たちの心をとらえていません。

せいいっぱい口を開き、声を張りあげて歌える歌こそ、子供たちが望んでいる歌です。 快活に合唱できる歌こそ、この映画にふさわしいと思います。

もうひとつの歌は、挿入歌です。 淡い物語を彩る歌ですが、劇中で子供たちが唱歌のように歌える歌にしたいと考えます。

トトロも縄文人から縄文土器を習って、江戸時代に遊んだ男の子をマネしてコマ回しをやっているんでしょう(笑)。 トトロは三千年も生きてますから、本人にとってはついこの間、習ったことなんです。 ひょっとしたら、カンタのバアちゃんが親にしかられて泣いて歩いていたとき、トトロに会っているのかもしれない。 トトロはひょっとしたら、小さいときのバアちゃんとメイを同じ女の子だと思っているのかもしれないんですよ(笑)。

最初は「このへんないきものは、もう日本にはいないんです。 たぶん」って書いたんですよね(糸井重里)。

  • カンタのノートに落書きしてあるのは杉浦茂のマンガ
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